横浜市開港記念館

本誌前号(83号)で、前回の企画展示「ある知日家アメリカ人と昭和の日本」開催に合わせて日米開戦時の駐日アメリカ大使グルーや、戦後に評論家として活躍した石垣綾子(マツイ・ハル)などブラウンと交流のあった人びとを紹介した。

 今回は、『ジャパン・アドヴァタイザー』紙 The Japan Advertiser で長くブラウンの上司であった編集長のウィルフレッド・フライシャーWilfrid Fleisher を取り上げ、戦時下のアメリカで果たしたその知日家としての役割を簡単ではあるが紹介したい。

 フライシャーの経歴については、おもにその著書『火山列島』Volcanic isle と『日本について為すべきこと』What to do with Japan のブックカバーの著者紹介、およびE・R・メイ、掛川トミ子訳「マス・メディアの対日論調」(『日米関係史 開戦に至る10年 4マス・メディアと知識人』1972年所収)をもとにした。

 同紙は、19世紀末に横浜で創刊された英字日刊紙で、1910年頃、ウィフレッドの父親のB・W・フライシャーが同社主となると、東京に本社を移し、発展をとげた。

 ウィルフレッドは1914年に来日し、同社のスタッフに加わった。18年には同社および『ニューヨーク・ワールド』の特派員としてシベリア出兵を取材した。その後ニューヨーク・パリ・ジェノバ・ストックホルムで記者生活を送り、震災後の25年頃、同社再建のため日本にもどった。同時に『ニューヨーク・タイムズ』の日本特派員も兼ね、一時、ワシントンにも駐在した。29年からは『アドヴァタイザー』編集長として東京に腰を落ち着け、40年に『ジャパン・タイムズ』に吸収合併されるまで編集長をつとめた。一方『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』の特派員も兼ね、本国アメリカへ向けて日本情勢を書き送った。