横浜市開港記念館

 ペリーの日本遠征といえば、『ペリー艦隊日本遠征記』がよく知られている。これはペリーの日記を中心にホークスが編集し、アメリカ議会文書として出版されたもので、日本遠征の記録の古典ともいうべき大著である。

 しかし、そのほかにも日記を残した人は少なくない。これまで20点近くが出版されており(そのうち数点は邦訳されている)、さらに原本のまま保存されている日記もある。今回展示している日記のなかから、2点ほど紹介しよう。

 当館には隊員のひとりウィリアム・L・モーリー大尉の自筆日記や書簡が保存されており、複製で公開されている。

 日記は、1853年4月7日から1855年1月9日までの3冊である。モーリーは最初、輸送船カプリス号(傭船)に乗務し、のちミシシッピ号に転属している。

 『日本遠征記』第1巻の前書きの注記に「水路学の部門においては、提督はとくに海軍大尉W・L・モーリー氏およびS・ベント氏の、正確で精力的な業績を認めている」と特記されているように、モーリーは測量の分野で大活躍した。

 日本ではベントやジョージ・H・プレブルらと毎日のようにボートで測量に出て海図を作成し、また彼が作成した江戸、下田港、箱館港の水路誌 Sailing Directions は、航海中に艦隊の印刷物『ジャパン・エクスペディション・プレス』に刷られて配付され、のちに『日本遠征記』第2巻に「水路誌と航海上の所見」と題して収録された。また、その抜刷りも1857年に出版されている。日本近海の航海用に、最新の情報を携帯に便利な1冊本にしたものと思われる。

 1854年2月13日(嘉永7年1月16日)、ペリー艦隊は再来航して江戸内海(東京湾)に入り、柴村(横浜市金沢区)の沖合に集結した。ここはすでに前年、測量を済ませて、「アメリカ碇泊地」と名付けていた場所である。海図の下部に「アメリカン・アンカレッジ」と見えるのが、その碇泊地である。

 この海図は、『日本遠征記』第2巻に収録された「江戸湾西岸」の一部分で、モーリーらが作成したもの。彼が乗務するミシシッピ号もふくめ、艦隊7隻の投錨地が錨のマークで示されている。この金沢の地先は現在では埋め立てがすすんでおり、サザンプトン号の投錨地は、八景島のすぐ沖合にあたる。細かい数字がみえるのが測量した水域である。