横浜市開港記念館

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藤澤三郎が編纂した『吉田沿革史』については、『神奈川県民政資料小鑑』(1913年(大正2)、神奈川県刊)に、「都筑郡新田村吉田ノ郷土史ト称スベキモノニシテ同村ノ沿革ヨリ現在ノ状態ニ至ルマデ記述スルコト頗ル精密」と紹介されており、『港北ニュータウン郷土誌叢書1 吉田沿革史』(1983年(昭和58)、港北ニュータウン郷土誌編纂委員会編)として刊行されている。

 一方『吉田誌』は、『維新前の米制』(1924年(大正13)、神奈川県穀物検査所事務研究会編)にその一部が引用されており、『杉山神社考』(1956年(昭和31)、戸倉英太郎著)には参考文献として名が記されている資料である。今回「郷土を誌しるす―近代横浜・神奈川の地誌―」展に、その『吉田沿革史』(藤澤三郎氏所蔵)と『吉田誌』(相澤雅雄氏所蔵)を出陳させていただく機会を得たので、両資料を紹介しておきたい。

 『吉田沿革史』・『吉田誌』は、共に神奈川県都筑郡新田村吉田(現横浜市港北区新吉田町)の地誌である。新田村吉田は、江戸時代から1889年(明治22)まで吉田村と呼ばれ、1889年の市町村制施行以降、1939年(昭和14)まで、新田村の大字として新田村吉田と呼ばれた。1939年の第六次市域拡張の際、新吉田町と改められている。

 『吉田沿革史』・『吉田誌』を編纂した藤澤三郎は、天保年間に武蔵国都筑郡吉田村の坂倉小三郎の次男として生まれ、1865年(慶応元)、同じ村の医師藤沢元祐の養子となった。元祐の次女ウメを妻とし、四男三女を得たという。三郎は、地租改正の際には、筆生として事業に関わり、また学務委員なども務めた「寒村の一農夫」であった。俳句をたしなみ、号を東洲または藤沢山人と称した。1914年(大正3)6月、73歳で亡くなっている。墓所は、日蓮宗常真寺(港北区新吉田町)にある。