企画展
発見!ウィリアム・ヘーグの写真
ウィリアム・ヘーグ
ウィリアム・ヘーグ(William Haigh 1891.3.14~1923.9.1)は、英国副領事として横浜の英国総領事館に勤務中、関東大震災のため亡くなった日本サッカー界の恩人の一人である(伊藤泉美「山手に眠る日本サッカー界の恩人ウィリアム・ヘーグ」『季刊横濱』Vol.36)。
ヘーグは、明治25(1892)年英国に生まれ、ケンブリッジ大学卒業後、22歳の時に来日し、東京の英国大使館に通訳研修生として勤務した。のち書記官補となり、大使館勤務のかたわら、大使館サッカー・チームの一員として活躍し、東京高等師範学校との交流試合を行うなどサッカーの普及に尽力した。またグリーン駐日英国大使に、全国大会優勝チームに授与するためのイングランド・サッカー協会(The FA)よりFAカップの寄贈を提案し、実現のために奔走した。大正8(1919)年3月シルバー・カップが寄贈されると、これが契機となって大正10(1921)年9月、大日本蹴球協会(現日本サッカー協会)が創設され、全国優勝競技会(現天皇杯全日本選手権)が始まった。
大正8年、ヘーグは一時帰国したが、大正10年には、副領事として再来日し、横浜に勤務した。彼は、大日本蹴球協会の組織体制や全国優勝競技会の運営方法の助言を行うなど、協会の創設においても尽力した。大日本蹴球協会の初代賛助員の一人でもある。しかし大正12(1923)年9月1日、総領事館(現在横浜開港資料館所在地)での執務中、関東大震災で被災し犠牲となった。享年32歳であった。
ウィリアム・ヘーグの写真
ヘーグの一時帰国に際して、東京府豊島師範学校(現在の東京学芸大学のもととなった師範学校の一つ)でヘーグ書記官送別試合が開催された。その時撮影された写真(日本サッカー・ミュージアム所蔵)が、従来ヘーグの写真としてよく知られていたが、この度YC&AC所蔵資料に新たに2点、ヘーグの写る写真が確認された。
写真1は、横浜チームと東京チームの対戦記念写真である。写真は、YC&ACのサッカー・チームの写真ともに一枚の台紙に貼られており(写真2)、写真の裏をみることはできないが、写真裏に記された記述をもとにしたと思われる写真の解説書には、「April 6th, 1918. Tokyo v. Yokohama, Association Football League Challenge Cup」とある。また写真に写る一人一人の名前が記されており、「後列:ヘーグ(レフェリー)」とヘーグの名が記されている。写真は浮出し印が押されている。残念ながら写真館の名は判別できないが、「Yokohama」とあり、横浜の写真館が撮影したものであることが分かる。このことから、試合は横浜で開催され、写真が横浜で撮影されたと推察される。
写真1 大正7年4月6日に行われた横浜チーム対東京チームのメンバー
後列左端のスーツ姿の男性がヘーグ YC&AC所蔵

真2 YC&ACのサッカー・チームの写真(上)
とともに貼られた写真1(下) YC&AC所蔵

両チームのイレブンとヘーグらが写っているが、中列左から三人目と四人目の間にカップが置かれている。
写真3の裏には、「April 6th 1918, Outside British Embassy Tokyo after winning challenge cup against Yokohama. Tokyo 2 Yokohama 1」と記され、メンバー一人一人の名前が記されている。前列中央にヘーグが写っているが、彼の前、前列中央の台の上にカップが置かれている。この写真の撮影者は不明である。
写真3 横浜チームとの対戦後、東京の英国大使館に集合した東京チーム
中列の中央、白い服を着た男性がヘーグ YC&AC所蔵

ア式サッカー・チャレンジ・カップ(Association Football League Challenge Cup)と称し開催された試合は、「横浜貿易新報」や「ジャパン・ガゼット」に記載がないため詳細は不明である。メンバーも所属は不明であるが、写真1の横浜チームのメンバーには、前身頃の左右の色の違うYC&ACのユニフォームを着ている人がいることから、YC&ACのメンバーも含まれていたのであろう。
そして2枚の写真に写るカップは、どのような由来のカップであろうか。『日本サッカーのあゆみ』(日本蹴球協会編 1974年)62頁には、大正12年正月に始まった全国高等学校選手権大会で、第1回・2回と連続して優勝した早稲田高等学院の主将鈴木重義が優勝カップを持つ写真が掲載されている。そのカップと2枚の写真に写るカップが大変似ていることを指摘しておきたい。
関東大震災によるヘーグの死去を悲しみ、震災の年の12月23日、ヘーグの追悼会と追悼試合が行われた。追悼会と追悼試合の世話をした井染道夫は、ヘーグについて「白いセーターに紺のパンツ、太った体をポストの間に運び、いつも童顔をニコニコさせてゴールを守っていた姿は、いつまでも忘れられない」(『日本サッカーのあゆみ』)と手記に記している。2枚の写真に写るヘーグは、井染の記述通りにこやかに笑い、彼の人となりを彷彿とさせる。
今年は関東大震災から90年目の年であり、ヘーグ没後90年目にあたる。ヘーグが尽力しイングランド・サッカー協会より贈られたFA杯は、第二次世界大戦の際に軍に供出され失われてしまったが、一昨年イングランド・サッカー協会より2代目シルバー・カップが贈られ、昨年から元日の天皇杯勝者に贈られている。
展示では、ここで紹介したYC&AC所蔵の写真を展示している。是非ヘーグに会いに来ていただきたい。
なお当館の旧館1階には、関東大震災で亡くなったヘーグを含め英国総領事館職員4名の名が刻まれた銅板のプレートが掲げられている。展示とともにご覧いただきたい。
YC&AC所蔵資料の調査および展示出陳にあたっては、YC&ACの代表サイモン・リツスター氏、アーロン・クライマン氏、依田成史氏ほか多くの方のお世話になった。記して謝意を表します。
(石崎康子)