「開港のひろば」第113号 |2011(平成23)年7月27日発行
- 企画展 広瀬始親写真展 横浜ノスタルジア 特別篇 昭和30年頃の街角
- 企画展 広瀬写真の魅力と史料的価値 広瀬写真の時代
- 企画展 広瀬写真の魅力と史料的価値 街の記録
- 企画展 広瀬写真の魅力と史料的価値 ハマの坂道
- 企画展 広瀬写真の魅力と史料的価値 あの時代からの贈り物
- 展示余話 5度の危機を乗り越えた、たまくすの木
- 揥帵梋榖 俆搙偺婋婡傪忔傝墇偊偨丄偨傑偔偡偺栘 1930擭偺揚嫀寁夋
- 資料よもやま話 中居屋重兵衛関係資料から −生糸貿易が始まった日−
- 資料よもやま話 中居屋重兵衛関係資料から −生糸貿易が始まった日− 上田町を出立、一路江戸へ
- 資料よもやま話 中居屋重兵衛関係資料から −生糸貿易が始まった日− 中居屋の開店と商談の開始
- 資料よもやま話 中居屋重兵衛関係資料から −生糸貿易が始まった日− 生糸貿易の隆盛と中居屋
- 特別資料コーナー 横浜を彩る花火
- 資料館だより ▼企画展
資料よもやま話
中居屋重兵衛関係資料から
−生糸貿易が始まった日−
横浜は、安政6(1859)年6月2日の開港以来、日本最大の生糸輸出港として発展した。日本は、生糸輸出から得られた外貨によって近代化を成し遂げ、生糸貿易は日本経済に大きな影響を与え続けた。そのため生糸貿易が誰によって始められ、それが開港の年の何月何日であったのかについては明治時代以来、さまざまな議論がおこなわれてきた。現在では、6月24日から同月28日までの間に、名前不明の日本人商人とオランダ人商人との間で行われた取引が横浜最初の生糸取引であったとする説が有力になっている(石井寛治著、東京大学出版会発行『近代日本とイギリス資本』22頁)。
ところで、筆者は上田町(現在、長野県上田市)の城下町商人伊藤林之助が開港直後に記した日記を読む機会に恵まれた。この日記は生糸貿易に従事した伊藤の子孫の家(伊藤洽子家)に伝来し、貿易の様子を伝える一級資料になっている。当時、上田藩は、城下町に集荷された生糸を、上野国吾妻郡中居村(現在、群馬県嬬恋村)から横浜に進出した生糸貿易商中居屋重兵衛(撰之助)を通じて外国商館に販売しようとしていた。そのため、伊藤は藩の指示で横浜の中居屋に滞在していた。
左端の部分に、中居屋が開店した日の記述がある。
日記には伊藤が上田町を出立し横浜へ至るまでの道中の様子から横浜で生糸取引が開始された様子までが克明に記されている。ここでは、やや煩雑ではあるが、日記の原文を抜粋しながら生糸貿易が始まったばかりの横浜の様子を紹介してみたい。