資料よもやま話
東京神学大学図書館所蔵
『よろこばしきおとづれ』の複製本公開
当館では、平成19年1月より企画展示「横浜開港と宣教師―翻訳聖書の誕生」を開催した。展示では、バプテスト派の宣教師ネイサン・ブラウン(Nathan Brown, 以下N・ブラウン)の日本における聖書翻訳の軌跡をたどり、ヘボンら翻訳委員会の活動との関連を明らかにした。また展示では、N・ブラウンと彼の息子ピアスが横浜に設けた印刷所ミッション・プレスを取り上げ、そこで印刷された印刷物を紹介した。その一つが、共立女学校(横浜共立学園の前身)の日曜学校で使用するため刊行された児童雑誌『よろこばしきおとづれ』であった。この度、同誌全号を所蔵される東京神学大学図書館より、同館ご所蔵のマイクロ・フィッシュからの複製の作製と、複製での閲覧公開をご許可いただいた。公開にあたり同誌を紹介したい。
刊行の経緯と概要
『よろこばしきおとづれ』は、明治9(1876)年12月、創刊号『よろこびのおとづれ』(英語誌名Glad Tidings)として刊行され(写真1)、翌年の1月号[2号]から『よろこばしきおとづれ』と日本語誌名を変更し(英文誌名は同じ)、明治15(1882)年2月の63号まで刊行された月刊誌である。
(『よろこばしきおとづれ』創刊号『植村正久と其の時代』第3巻所収)

創刊号から明治11(1878)年2月号[15号]まで、巻号の表示はないが、同3月に刊行された号からは、創刊号から前号までの号数を継承し、「Vol.2 No.16」と記され、以後巻号が英語で記される。明治13(1880)年1月刊行のVol.4 No.38に、日本語で「三八号」と記され、以後日本語でも巻号と刊行の年月日が表記されるようになる。
本誌には発行者の記載がないが、アメリカ人女性宣教師マクニール(S.B.McNeal)によって創刊された(註1)。マクニールは、共立女学校設立の母体となった超教派の女性伝道協会である米国婦人一致外国伝道協会(The Woman’s Union Missionary Society of America for Heathen Lands, 略称WUMS)により日本に派遣された。WUMSが共立女学校に派遣した6人目の宣教師であり、来日は明治9年7月であった。同校で教鞭をとるかたわら、来日した年の暮れには『よろこばしきおとづれ』を刊行している。
なお同誌Vol.2 No.16から同No.23(明治11年10月号)の巻末には共立女学校の所在地 “Yokohama 212 Bluff”(横浜山手212番地)と記されており、同誌の編集が共立女学校で行われていたことを示している。
マクニールは、明治11年10月、学校開設のため築地へ移転した(註2)。しかし東京にあっても、明治13年1月の帰国まで、『よろこはしきおとづれ』の刊行に携わり、マクニールの帰国後、同誌の編纂は、三浦徹とミラー夫人(M.E.Miller, M.E.キダー)に引き継がれた(註3)。
本誌の出版資金は、1856年にブルックリンで結成された団体 The Foreign Sunday School Association (略称FSSA)が提供した。FSSAは、1918年に The World’s Sunday School Association に吸収合併されるまで、『よろこばしきおとづれ』及びその後継誌『喜の音 (よろこびのおとづれ) 』の資金援助を続けたという(註4)。
前述したが、同誌の印刷は、N・ブラウンが自宅に設けた印刷所、ミッション・プレスで行われた。アメリカのバプテスト・ミッションの年次報告書には、「(Glad Tidingsの)創刊号である1876年12月号と1877年1月号は各500部、2月号から12月号までは各1,000部印刷された」とある(註5)。ミッションの年次報告に記されていることから、『よろこばしきおとづれ』の印刷は教派の事業として行われており、刊行当初同誌の発行は超教派の活動であった。
なおVol.2 No.16から、巻末に “Contents(目次)” と配布価格についての記載 “Ten copies $1.20 per Annum(10部年間購読料1.20ドル)” が記されている。Vol.3 No.26からは日本語でも「一ケ月十枚ツ丶一年分一円二十銭」と併記され、配布価格は63号まで変わらない。
WUMSへの報告書には、日曜学校の責任者ミセス・ヴィーレが『よろこばしきおとづれ』を日曜学校で「毎月100部配布している。日本人たちは読み物が少ないのでこれをとても大切にしている」(註6)と記している。10部単位で頒布されていたことからも、同誌は宣教師たちが日曜学校に参加した子どもたちに配布することを目的として刊行されていたのであろう。
註1 『横浜共立学園六十年史』(横浜共立学園六十年史編纂委員編 1933年)
註2 註1に同じ
註3 『植村正久と其の時代』第3巻(佐波亘編 教文館 1976年復刻再版)
註4 齋藤元子「『よろこばしきおとづれ』―地理教育からみた明治初期のキリスト教児童雑誌」『明治学院大学キリスト教研究所紀要』40号(2007年)
註5 註4に同じ。
註6 『横浜共立学園資料集』(『横浜共立学園資料集』編集委員会編 2004年)
活字と印刷所
創刊号から63号の表紙を見ていくと、そのデザインは4期に分けられる。第1期は創刊号[1号]、第2期は誌名が変わった1877年1月号[2号]から1878年2月号[15号]まで、第3期は巻号表示が記されたVol.2 No.16からVol.3 No.37まで、第4期は日本語の巻号表示が併記された38号から63号までの時期である。
第1・2期の表紙には、平仮名で「よろこびのおとづれ」・「よろこばしきおとづれ」と記されているが、水平方向に連続活字で縦書きに記されている(写真1・2)。[第3・4期]は表題が右からの横書きに変わる(写真3・4)。
写真2 『よろこばしきおとづれ』1878年2月号[15号]表紙
東京神学大学図書館所蔵

写真3 『よろこばしきおとづれ』Vol.3 No.26
(1879年1月刊)表紙 東京神学大学図書館所蔵

写真4 『よろこばしきおとづれ』40号
(1880年2月刊)表紙 東京神学大学図書館所蔵

表題のデザインに見る第3期から第4期への変更の背景には、明治11年10月のマクニールの東京移転が、後継誌『喜の音』への誌名変更の背景には、マクニールの離日があると思われる。
印刷に用いられた仮名の活字をみてみると、第1・2期は、表題・本文とも平野活版印刷所作製の連綿体平仮名活字により、印刷されている。しかし第3期になると、表題は平野活版印刷所の二号明朝仮名、本文は「前期五号」の模索期のものが用いられており、いくつかの字形の混用が見られるようになる。また第1・2期に見られたN・ブラウンの印刷物に特徴的な分かち書きが見られなくなる。第4期になると、「前期五号」が用いられ、字形は統一される(註7)。
前述したが、バプテスト・ミッションの年次報告から、明治10年12月まで、ミッション・プレスが同誌を印刷していたことは明らかであることから、字形が同じで、分かち書きの見られる第1・2期は、ミッション・プレスで印刷されたと考えてよいであろう。しかし字形に混用が見られる第3期は、ミッション・プレス以外の印刷所で印刷された可能性がある。第4期については、その字形から、印刷所を東京築地活版製造所へ変えたと考えられる。マクニールの離日を前に、印刷所を東京の築地活版製造所に移し、編集・印刷とも東京で行う体制を整えたのであろう。
註7 活字に関しては、小宮山博史氏のご教示をいただいた。記して謝意を表します。
体裁と内容
同誌は、創刊号[1号]から1878年2月号[15号]まで8頁、英語の巻号表示の始まるVol.2 No.16から12頁仕立てになる。12頁仕立ては、Vol.2 No.21が8頁であるほかは、63号まで変わらない。
『よろこばしきおとづれ』創刊号は、「クリスマスのこと」で始まる。同誌に掲載された記事の内容は、「聖書のはなし 幹約(よはね)(ママ 約翰が正しい)伝一章一より一四までの略解」[2号]といった聖書の解説、「わかき基督の徒にすすむる言」[2号]といった訓話、「支那人黄勝氏の履歴 Biography of Wong Shing」[4号]や「ガンジス河のこと The River Ganges」・「惑星のはなし Comets」[11号]といった人物や事物、科学関係の記事に関する翻訳記事、および賛美歌などである。
本紙の特徴として、同誌[15号]からVol.2 No.25まで、Vol.3 No.31・No.35・No.36、Vol.4 No.39の表紙には楽譜付きの賛美歌が掲載されている点を上げておきたい(写真2・3)。
横浜で刊行された最初の賛美歌『教のうた』は、明治7(1974)年に刊行されたが、歌詞のみで楽譜は掲載されていない。五線譜の楽譜が掲載された最初の賛美歌は、明治17(1884)年に刊行された『基督教聖歌集』であったが、本誌への賛美歌の掲載はその6年前に遡る。楽譜付き賛美歌集刊行の6年前に、日曜学校の雑誌に讃美歌が楽譜入りで掲載されていたことになる。
WUMSから派遣されたプライン(M.P.Pruyn)をはじめとする女性宣教師たちの多くは、共立女学校およびその前身のアメリカン・ミッション・ホームで音楽教育に力を注いだ。彼らが開設した日曜学校でも賛美歌は歌われていたが、『よろこばしきおとづれ』に賛美歌を掲載することで、日曜学校参加者への賛美歌の一層の普及を図ったものと思われる。同誌への楽譜付き賛美歌の掲載は、明治初頭の音楽教育、賛美歌の歴史のなかで、注目すべき出来事であった。
公開の内容
『よろこばしきおとずれ』は63号(明治15年2月号)で終刊となり、『喜の音』に引き継がれた。巻号表示を改め、『喜の音』は1巻1号から月刊誌として刊行され、その後月2回の刊行となった。24巻までの刊行が確認されている。
複製本では、『よろこばしきおとづれ』が[一号]から63号まで、『喜の音』については、1~24号、37~48号、109~120号、127~138号、140~142号、337~360号が収録されている(請求番号ZWC―ヨ162―1~6)。閲覧室でご覧いただきたい。
(石崎康子)