横浜市開港記念館

  現在の『神奈川新聞』につながる『横浜貿易新聞』は、明治23年(1890)2月1日に創刊しました。この年、7月に第1回衆議院選挙が行われ、11月に帝国議会が召集されました。

 『横浜貿易新聞』創刊号は高山市郷土館で発見されましたが、創刊当時の原紙はあまり残されていません。『神奈川県統計書』によれば、日刊で、発売配布数3,113部となっています。6月29日の社告に、新聞の定価は、1枚1銭5厘、1ヶ月30銭、横浜・東京または取次所のある場所のほかは、郵便税とも1ヶ月前金35銭と書かれています。

  今回は、初期の取次所について見ていきたいと思います。

  さて、当館が所蔵する資料に、明治23年11月17日の日付で、九州の久留米市米屋町の金文堂菊竹書店が発行した新聞の取次広告があります。「至急広告」の見出しで、「国会の開設に当たり、府下の新聞は驚くべき競争をもって互いに意匠を凝らし、国会開設を注視している。そのため、新日本立憲政体の下に身を置こうとする人は新聞を読むべきである」という内容です。

  次に取次可能な新聞が列記されていますが、『東京日日新聞』や『大阪朝日新聞』など東京・大阪の新聞33紙のなかに、『横浜貿易新聞』も入っています。東京の新聞は10日前、大阪の新聞は七日前までに申し込まなければなりませんでした。前金で35銭なので、取次店を通しても、新聞社から郵送されるものと価格はあまり変わらなかったようです。

 金文堂は、漢籍の販売をしていた二文字屋(文久元年創業)の後継者菊竹嘉市が、明治23年1月に創業しました。嘉市は「薄利多売」・「経費節減」・「人物養成」などをモットーに、東京の博文館・冨山房などの出版社をはじめ、新聞各社・取次店などといち早く契約を結びました。この広告は、地方の取次店の様子を伝える貴重な資料です。

 ところで、『神奈川県統計書』には、翌年の発行部数が1ヶ月平均7万3,075部とかなりの増加が見られます。また、販売高は神奈川県外で販売されたものが県内で販売されたものより多く、少しではありますが海外にも販売されていたようです。

  この年1月6日の紙面には、東京の5大新聞取次所であった良明堂、東海堂、厳々堂、信文堂、指金堂が横浜貿易新聞大取次所として名前を列ねていますし、7月2日の紙面には、東京のほか京都・大阪・埼玉・群馬・長野・神奈川県内各地など、全部で129軒の取次所が書かれています。朝刊紙なので、神奈川・東京の取次店は当日朝配達していましたが、地方には鉄道で運ばれました。大阪の取次店では、当日発行の新聞を午後5時5分の汽車で受け取り、6時頃には配達を終えたといいます。

  このほか、内国通運会社の貨幣早達便を利用することによって、代金の割引や無料送達という特典もありました。郵送より割安だったようです。貨幣早達便は、北海道から九州まで、116ヵ所で利用することが出来ました。横浜貿易新聞社が全国各地の顧客獲得に配慮していたことがわかります。

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