横浜市開港記念館

  現在のカナダ国家の成立は、1867年、東部の4つの英領植民地が統合して、自治領カナダを結成したことにはじまる。その後西海岸のブリティッシュ・コロンビア植民地も自治領カナダに入り、1881年、東西を結ぶ大陸横断鉄道、カナディアン・パシフィック鉄道会社
Canadian Pacific Railway Company(以下CPR社)が設立された。

  1886年7月4日、最初の大陸横断鉄道の列車が西部の終着駅ポート・ムーディに到着した。この駅はのちのターミナル駅より内陸部にあった。太平洋航路開設の構想をもっていたCPR社は、鉄道と汽船のターミナルとしてより良い場所を求めて政府に働きかけ、入り江に面した広大な土地を獲得した。それが現在のガスタウン一帯である。ここには駅や港湾施設、ビル、住宅などが次々と建てられ、都市の基礎が整備されていった。

  バンクーバーでは初期の都市建設はおもにCPR社をはじめとする民間の地権所有者によって担われた。この点が開港場建設の主体が幕府という公であった横浜と根本的に異なる。図1は1908年の駅周辺の光景である。中央の塔のある建物が駅舎で、一帯には鉄道敷地、波止場、ドックなどCPR社の施設がならび、同社がいかにウオーターフロントの一等地を占有していたかを示している。

  1923年9月1日正午、カナディアン・パシフィック・ラインのエンプレス・オブ・オーストラリアは、バンクーバーにむけて大桟橋を出航するはずであった。しかし、その2分前の11時58分、関東大震災が起こった。

  エンプレス・オブ・オーストラリアは出航をとりやめ、その後9日間にわたり横浜にとどまって、数千人の人々を救済した。また、9月3日にバンクーバーから入港したエンプレス・オブ・カナダも食料と飲み水を提供するとともに、被災者を神戸に運んだ。

  アメリカ人O. M. プールが著した『古き横浜の壊滅』(The Death of Old Yokohama,
1968)は、関東大震災の体験記として名高い。今年、この本に使用された資料や写真が開港資料館に寄贈された。その中にはエンプレス・オブ・オーストラリアのロビンソン船長の救助報告書などが含まれる。ロビンソン船長はのちに横浜市から感謝状を贈呈された。震災時の2艘のエンプレスの活躍は、バンクーバーと横浜を結ぶ歴史の一齣である。