「開港のひろば」第82号 |2003(平成15)年10月29日発行
金沢区の旧家鹿島家から寄託を受け当館が保管している文書の中に、明治6年(1873)に神奈川県が村にいくつかの新聞を回覧したことを記した古記録がある。
大蔵省は、明治5年(1872)3月27日に、情報を広く知らせ、「勉職進歩」の一端にするために、『横浜毎日新聞』、『新聞雑誌』、『日報社新聞(東京日日新聞)』の3紙を官費で購入し、各府県へ配達することを達した。数ヶ月後には『日新真事誌』も官費で購入されるようになった。
鹿島家文書はこの達に関係したもので、翌明治6年3月19日に神奈川県が村に回覧した新聞の記録である。回覧したのは、『日新真事誌』242号(2月20日)より〔2〕46号(2月25日)まで3部ずつ、『横浜(毎日)新聞』596号(明治5年11月2日)より666号(明治6年2月24日)まで3部ずつ、『東京日日新聞』296号(2月19日)より299号(2月22日)まで3部ずつ、『新聞雑誌』77号(2月)2部で、すべての住民が新聞を読むことを求め、回覧終了後は神奈川県に新聞を返却するようにと書いている。
また、明治7年(1874)には、村で新聞を回覧した記録が残されている。写真(1)は、七番組会所から町屋村、泥亀新田、寺前村、柴村、洲崎村、野島浦、富岡村、谷津村の、現在は金沢区に属する各村に新聞が回覧された記録である。そのうちの1点は、5月2日の日付で、4月25日、27日、28日の3日分の新聞紙を回達するので、熟覧した上で順達し、最後は返却するようにという文面である。
村々へ新聞を回覧した記録は、10月7日まで不定期に続いており、それを見ると、3日から10日分を付録も一緒にまとめて回覧していることがわかる。文書には回覧していた新聞の標題の記載がなく、「新聞紙」と記しているだけだが、ところどころに出てくる号数と日付から、『横浜毎日新聞』だったと考えられる。