「開港のひろば」第82号 |2003(平成15)年10月29日発行
今日では、ほとんどの家庭で新聞が購読されています。しかし、明治初年には、個人で購読することは少なかったようです。なぜなら、新聞が高価であったことと、文字が読めない人々がいたからです。政府や県は新しい情報伝達手段である新聞を利用しようと、さかんに新聞の購読を奨励します。新聞解話会もその一つでした。
今年寄贈を受けた明治5年(1872)10月発行の『峡中新聞』3号に、新聞解話会の記事が載っています。これは、山梨県庁が各区正副戸長にあてたものです。国内や海外の情勢を詳しく知ることができ、自ずと「勧善懲悪の旨」が備わり、しかも「家業の利益となるべき筋」もあると新聞の効能を述べ、自身で新聞を読むことの出来ない人々のために適当な人を読師として新聞解話会を設けて読み聞かせなさいと達しています。
「新聞解話会取設之義ニ付、別冊之通相達候條、村々無洩可致廻達者也
壬申九月廿七日 山梨県庁
各区正副戸長
(別冊)
文明開化ノ今日ニ至リテ、小民末々幼童婦女ニ至ルマテ一向ニ世間ノ事ヲ知ザルハ云甲斐無キ事ナリ、其レヲ知ルハ新聞紙ニシク者ナシ。ソモソモ新聞紙ハ海内ヲ始メ外国各地ノ情態マテモ精細記シ、人々ノ善行悪事モ有ノ侭ニ載タレハ、自ラ勧善懲悪ノ旨備ハリテ風ヲ移シ俗ヲカフルノ捷径ナリ。又各家業ノ上ニ於テ利益ト成ルベキ筋モ間々有之、シカリト雖モ目ニ文字無ク自身読ミ解ク事アタハザル者多シ、アニ遺憾ナラズヤ。ココニ於テ一法ヲ設ク。自今在在村々神官僧侶農民ノ内、当器ノ者ヲ選ヒ、読師トシテ右新聞解話ノエンヲ開キ、彼ノ幼童婦女ニ至ルマデ随意聴聞致サスベシ。開エン規則ハ猶別紙ニ記ス。此旨毎区正副戸長毎村里正等能々対認シテ懇切ニ心配可致事。
壬申九月」
さらに新聞解話会規則も載せています。読師の謝礼や会の燈油の出費といった細かいことにまで話が及んでいます。
なお、『峡中新聞』は明治5年7月に山梨県の峡中会社が創刊したもので、本局は甲府の書店、内藤伝右衛門になっています。後に『山梨日日新聞』と改題し、現在も続いている地方紙では最も息の長い新聞です。
(上田由美)