「開港のひろば」第80号 |2003(平成15)年4月23日発行
この領事公邸跡地近くに、煉瓦造井戸の遺構の存在が以前から知られていた。今回、井戸の周囲から煉瓦造基礎(図2)4基が掘り出され、市教育委員会事務局文化財課の依頼を受けて調査を実施した吉田鋼市横浜国大大学院教授とともに文書資料と突き合わせた結果、明治29年の領事公邸竣工時、まだ上水道が山手まで敷設されていなかったために設置された井戸と井戸水汲み揚げ用風車の基礎であることが判明した。
フランス外交文書中に、領事館建設工事に関わる図面や見積・請求書、作業報告書などの一連の文書がみつかり、さらにその中のサルダ作成の領事館建設付属工事費計算書(写し)に、「井戸および風車、給水設備建設費として1,529.81ドル」と明記されていたのである。明治29年の建設であるから、実に107年の歳月を経た貴重な遺構であることが判明した。なお上部の風車本体は関東大震災によって倒壊したものと考えられる。
市緑政局公園部によると、基礎2基は埋め戻し、残り2基と井戸は現地で展示公開する予定だという。

関東大震災で倒壊した後、仮領事館が間もなく建てられ領事館業務が再開された。一方、領事公邸は昭和5年、当時、本牧満坂に事務所を構えていたスイス人建築家、ヒンデルの設計で再建されたが、戦後間もない昭和22年1月、不審火で焼失した。しかし幸いなことに、鉄筋コンクリート造1階部分が遺構として現存し、当初の意匠をよく残している。その焼失時の写真(図3)を今回、フランスから入手した。
フランス山はその後、昭和46年に横浜市がフランス政府から買収して整備し、翌47年にフランス山公園として市民に開放され、今日に至っている。幕末から一環してフランス政府の施設が置かれ、それを物語る遺構が多数、現存する歴史的な場所であり、その歴史にふさわしい再整備がなされることを期待したい。
今回の調査と拙文を書くにあたり、フランス外務省文書室ナント分館外交史料センター(Centre
des archivesdiplomatiques de Nantes)には資料調査収集の上で多大な便宜をはかっていただいた。吉田鋼市教授には、現地調査時より種々ご教示いただいた。市緑政局公園部、現地で整備作業にあたっている方がた、市文化財課の福士とも子氏にもお世話になった。お礼申し上げます。
(中武香奈美)