「開港のひろば」第78号 |2002(平成14)年10月30日発行
今回の展示では、旧家に残された古記録を出品したが、こうした記録を読んでいると、19世紀後半からの世の中の変化の激しさに驚かされることがある。

そもそも横浜市域の農村は、日本最大の都市である江戸に近かったため、文化的にも経済的にも江戸と密接に結びついていた。そのためであろうか、幕末になると江戸を通じて、政治や国際情勢に関する情報が市域の農村にも伝えられた。
たとえば、上の写真は鶴見区の旧家関口家に残された中国大陸の地図である。この地図は、幕末の関口家当主東作が『海外新話』という本から写し取ったもので、嘉永4年(1851)に作られたものであった。
地図のもとになった『海外新話』は、江戸の学者嶺田楓江が嘉永2年(1849)にアヘン戦争の実態を知らせるために刊行したもので、東作は『海外新話』の存在を知り、この地図を写し取ることになった。
興味深い点は、『海外新話』が刊行された直後に、海外情報を一般に知らせたくないと考えた幕府によって発禁処分を受けていることで、著者である嶺田が、その後になって「三都払い」(江戸・京・大坂の市中に立ち入ることを禁止すること)の刑に処せられていることである。
つまり、東作は、幕府が発禁処分にした本を写したことになり、この地図は、幕府の規制にもかかわらず、農民たちが国際情勢に強い関心を持ち続けていたことを現在に伝えることになった。
ちなみに東作は、地図のほか、本文についても詳細に写し取っており、『海外新話』から中国大陸でのアヘン流行の実態やイギリスの軍事力の強大さを具体的に知ることになった。