「開港のひろば」第146号 |2019(令和元)年11月2日発行
- 企画展 横浜市中消防署100周年記念 横浜の大火と消防の近代史
- 企画展 特設消防署の誕生 ―横浜市中消防署の源流― 2種類の消防組織
- 企画展 特設消防署の誕生 ―横浜市中消防署の源流― 明治後期の消防改革
- 企画展 特設消防署の誕生 ―横浜市中消防署の源流― 消防力の強化をめぐって
- 展示余話 日米修好通商条約はどこで結ばれたのか? 小柴と神奈川
- 展示余話 日米修好通商条約はどこで結ばれたのか? 本牧の名主の手紙
- 展示余話 日米修好通商条約はどこで結ばれたのか? アメリカ側の史料
- 資料よもやま話 横須賀製鉄所の新政府への移管とフランス海軍
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- ミニ展示 関東大震災前の姿を伝える「横浜歴史イロハカルタ」
- 資料館だより ▼企画展
資料よもやま話
横須賀製鉄所の新政府への移管とフランス海軍
現在、米海軍横須賀基地となっている旧横須賀造船所(図1)は、幕末にフランスの支援を受け、幕府が建設に着手した造船施設である。1865(慶応元)年に起工式が催され、翌年からフランス海軍技師ヴェルニー(L. Verny)の指揮の下、建設が始まった。当初は横須賀製鉄所と称したが、71(明治4)年に横須賀造船所と改称した。
1868(慶応4)年、幕府が倒れると、横須賀製鉄所は新政府へ移管された。移管のため横須賀へ派遣されたのは、神奈川裁判所総督に任じられた公家の東久世通禧(ひがしくぜ・みちとみ)(図2)と、副総督の佐賀藩主、鍋島直大(なべしま・なおひろ)だった。ふたりは5月22日(閏4月1日)、フランス軍艦で横須賀に赴いた(『横須賀海軍船廠史 第1巻』1915年)。
このフランス軍艦はゴエラン(Goëland)といった。この名前は、戦前にフランスで発表されたラウル(J. Raoulx)の論文で言及されており、邦訳に竹中祐典訳「横須賀製鉄所の創設」(『横須賀市博物館研究報告』人文科学、第53号、2008年)がある。著者のラウルは横須賀製鉄所に勤務したフランス人海軍医サヴァチエ(P.A.L. Savatier)の孫であり、日本海域担当の提督から本省宛て報告書を一部引用し、紹介しているが、不明瞭である。
本稿では、この報告書本文のフランス国立公文書館蔵フランス艦隊の本省宛て作戦報告書(BB4)にあたり、ゴエランをはじめとする横須賀湾への仏軍艦派遣の経緯をみておきたい。具体的には、中国海艦隊臨時司令官、護衛艦ヴェニュス(Venus)艦長ロワ(Roy)から海軍・植民地相宛て報告書である。以下、引用は抄訳であり、[ ]内は引用者註である。