「開港のひろば」第137号 |2017(平成29)年7月20日発行
- 婇夋揥 墶昹偺惣梞恖幮夛偲擔杮恖 乗堎暥壔傊偺偲傑偳偄
- 婇夋揥 僪僀僣彜恖偺嵢偑巆偟偨2嶜偺揬崬挔 グローサー商会
- 企画展 ドイツ商人の妻が残した2冊の貼込帳 鹿鳴館開館式夜会への招待
- 企画展 ドイツ商人の妻が残した2冊の貼込帳 薩摩治兵衛からの新築落成式への招待
- 帒椏傛傕傗傑榖 晲廈嬥戲斔嵿惌傊偺怷壠偺娭梌奐巒帪婜偵偮偄偰
- 資料よもやま話 武州金沢藩財政への森家の関与開始時期について
- 揥帵梋榖 傕偆堦偮偺徚偊偨応強乗嶳壓奀悈梺応 山下海水浴場はどこに?
- 展示余話 もう一つの消えた場所―山下海水浴場 山下海水浴場の賑わい
- 展示余話 もう一つの消えた場所―山下海水浴場 庶民派の海水浴場
- 儈僯揥帵 栘懞奌廙丒峗媑娭學暥彂丄婑憽偝傟傞
- 帒椏娰偩傛傝 ▼企画展
企画展
ドイツ商人の妻が残した2冊の貼込帳
鹿鳴館開館式夜会への招待
1883年11月28日夜8時30分、東京の麹町内山下町に完成した鹿鳴館に、内外の高官・紳士淑女約600人が列席して開館式がおこなわれ、舞踏会が夜半まで催された。
図2は明治政府の欧化政策の象徴として知られるようになる鹿鳴館の開館式への招待状である。長男エドアルトを8月に出産したばかりのクララもドレスに身を包み、夫とともに列席したのだろうか。
青木周蔵夫人主催の夜会への招待
図3は1887年2月1日夜9時開会の青木邸での夜会の招待状である。当時、井上馨外務大臣の条約改正交渉を支えていたのが青木周蔵外務次官であり、その妻は青木がドイツ赴任中に出会ったプロイセン貴族エリザベートだった。
ドイツ人社会の社交の場でありながら、対日外交の意味合いもあっただろうこの夜会で、横浜の古参外国商人のひとりとしてフリードリッヒはどんな対応をしたのだろうか。
なお、手書きで「別仕立列車」とある。夜会が夜半に終わるため、横浜からの招待客のために新橋から特別列車が用意されたのだろう。
日本の欧化政策を辛辣に描いた風刺画で知られるフランス人画家、ビゴーはちょうどこの頃、このような夜会での日本人紳士淑女を図4のように描いている。