「開港のひろば」第135号 |2017(平成29)年2月1日発行
- 企画展 時を超えて・ハマの史跡の物語
- 企画展 横浜史料調査委員会と史跡選定 横浜市史編纂事業と史料調査委員会
- 企画展 横浜史料調査委員会と史跡選定 史跡の選定
- 企画展 横浜史料調査委員会と史跡選定 横浜史料調査委員会の終焉
- 展示余話 地方名望家が記した「天皇崩御」 明治天皇の病状悪化
- 展示余話 地方名望家が記した「天皇崩御」 地域社会の対応
- 展示余話 地方名望家が記した「天皇崩御」 明治天皇の大喪儀
- 資料よもやま話 横浜華僑・李家の肖像 写真の撮影年代
- 資料よもやま話 横浜華僑・李家の肖像 広東から横浜へ
- 資料よもやま話 横浜華僑・李家の肖像 横浜大空襲と戦後の李家
- 特別資料コーナー ヘボンの和英辞書出版150年
- 資料館だより ▼企画展
特別資料コーナー
ヘボンの和英辞書出版150年
横浜の郷土史家、五味亀太郎旧蔵本 当館蔵「五味文庫」
今年、日本最初の和英辞書『和英語林集成』が出版されて150年になる。編集者のアメリカ人医師ヘボンは1859(安政6)年10月、横浜開港のわずか3カ月後に来日した。医療活動を通じてキリスト教を広める宣教医として派遣されてきたが、当時、日本人への布教は許されていなかったため、治療や医学を教えながら、将来に備えて日本語の研究に励んだ。辞書はその成果である。
辞書は来日8年後の1867(慶応3)年5月、横浜で販売されたが、印刷は上海で行った。ヘボンは66年10月、上海に渡り、印刷所では日本語の活字を一から鋳造することから始まった。当初は「和英」だけだったが、「英和」編も加えることになったりもして、7カ月間かかった。
辞書は外国人だけでなく多くの日本人も買い求め、明治末までに九版を重ね、偽版も出た程だった。今日、最もポピュラーな日本語のローマ字表記は、この辞書(第3版)で使われた「ヘボン式ローマ字」である。
ヘボンは辞書編集の困難さをニューヨーク在住の弟スレーターに次のように書き送っている(当館ではスレーター宛てを含むヘボン関係書簡約80通を所蔵し、複製本「ヘボン書簡」として公開)。訳は高谷道男編訳『ヘボンの手紙』(有隣堂、増補版、1978年)から引用した。
「辞典の編集は着々と進捗しています。…わたしを助ける既刊の参考書もなく、開拓的な仕事です…立派な著作になると思います。…いつ、どうして出版するか、きまっていません。わたしは貧しくて、とても自費でそれを出版することはできないし、伝道協会も、それを企画しないでしょう」。出版2年前の65年8月10日、横浜からの手紙だ。資金に困っていたヘボンに、横浜に進出していたアメリカ商社、ウォルシュ・ホール商会のウォルシュが印刷出版費の立替を申し出てくれた。
67年5月、辞書を完成させ横浜に戻ったヘボンは、すぐに(5月25日)スレーターに手紙を書いた。
「わたしは、この著書を完全なものとして出版するのではありません。否、完全にはほど遠いものですが、すべての人々にとって、非常に利用度の高いものです。…今朝、一人の日本の役人が、遠い国に住んでいる大名のために三十冊を買いに来ました。日本人は少しも苦労せずに辞書を用いることができるのです。少しの時間で、わたしどものアルファベットをひろい読みできるからです。…わたしの辞書が不完全だとわたしは申しました。…それはやむを得ません。こういうことはすべて小さいスタートから始まるのです。偉大なことはそのスタートをきることです。それがやがて発展し、改善されてゆくのです」。ヘボンは、辞書出版の意義と完成の喜びとともに、当時の日本人の能力の高さも伝えている。
2月11日から3月26日まで、常設展示室特別資料コーナーで、この2通の手紙やヘボン辞書初版本などを展示する。
(中武香奈美)