「開港のひろば」第134号 |2016(平成28)年10月28日発行
- 企画展 横浜開港資料館×宮内公文書館 明治天皇、横濱へ―宮内省文書が語る地域史―
- 企画展 明治天皇と横浜 明治天皇の東幸と横浜
- 企画展 明治天皇と横浜 横浜御用邸
- 企画展 明治天皇と横浜 凱旋観艦式
- 展示余話 戦後の貿易再開と横浜芝山漆器 村田家に残された記録
- 展示余話 戦後の貿易再開と横浜芝山漆器 横浜工芸漆器商工協同組合の設置
- 展示余話 戦後の貿易再開と横浜芝山漆器 特産品生産の復興に向けて
- 資料よもやま話 「メアリー・A・ルジェーリ・コレクションThe collection of Mary A. (Kiddie) Ruggieri」から コレクション入手(複写)
- 資料よもやま話 「メアリー・A・ルジェーリ・コレクションThe collection of Mary A. (Kiddie) Ruggieri」から 写真アルバム9冊の内容
- 資料よもやま話 「メアリー・A・ルジェーリ・コレクションThe collection of Mary A. (Kiddie) Ruggieri」から
- 特別資料コーナー 女学生の修学旅行
- 資料館だより ▼企画展
展示余話
戦後の貿易再開と横浜芝山漆器
横浜工芸漆器商工協同組合の設置
昭和22(1947)年、横浜で漆器を製造する業者の団体である横浜工芸漆器商工協同組合が発足し、村田貞良が理事に就任した。組合加盟人数については分からないが、昭和22(1947)年には団体を組織できるほど漆器生産の体制が整いつつあったように感じられる。村田家には組合の発足に際して作成された事業計画案が残され、序文には当時の漆器輸出を取り巻く状況が詳しく記されている。以下に序文を紹介したい。
「敗戦日本の再建の道は貿易なくしてはあり得ないが、貿易も亦、輸出産業を背景にし、之を基礎として築かれてゆくものであることを深く自覚せねばならない。吾が国の貿易事情に漸次好転の兆が認められ、東洋の特産物として漆器製品が再び世界市場に飛躍せんとしているのである。然るに漆器工業は兎角伝統に拘束され研究性・応用性を失い発展に乏しく、故に海外の需要が余りにも少なかったのであるが、近来、米軍の進駐以来、世界市場は本邦の漆器に対し再検討を加えようとしているのである。此処に開港と共に生れ来たった横浜漆器に多年、海外市場を顧客として育成されて来た為め国外向けとしては何れの産地にも追従を許されない洗練されたものを持っている。而て此の洗練された生産技術と海外の連繋を縦横に駆使し焼土の中に起って日本再建に寄与せんとするものである。」
この序文に続けて事業計画案が記され、漆器の材料を共同で購入することと共同作業場および共同販売所を設置することが記されている。これは、当時、物価が著しく高騰し、材料の購入が困難になっていたため、資材を大量に購入することによって価格を抑えようとしたものであった。また、共同作業場や販売所の設置は、組合員が空襲によって作業場や店舗を失ったため、これに代わって組合が建物を購入する計画であった。
(村田禎男氏所蔵、開港資料館保管)
昭和22(1947)年9月に、村田は横浜市から5,800円の補助金を受けて漆器製作をおこなった。