「開港のひろば」第133号 |2016(平成28)年7月22日発行
- 表紙・はじめに
- 企画展 「横浜漆器」と内国勧業博覧会
- 企画展 「横浜漆器」と内国勧業博覧会 博覧会に出品された「横浜漆器」
- 企画展 「横浜漆器」と内国勧業博覧会 その後の博覧会で
- 展示余話 吉田新田の開発過程と資金調達 ―万治2年「請取申金子之事」を素材に―
- 展示余話 吉田新田の開発過程と資金調達 ―万治2年「請取申金子之事」を素材に― 開発工事の工程と「完成」の意味
- 展示余話 吉田新田の開発過程と資金調達 ―万治2年「請取申金子之事」を素材に― 開発資金の調達
- 展示余話 吉田新田の開発過程と資金調達 ―万治2年「請取申金子之事」を素材に―
- 資料よもやま話 避暑地を選ぶ ―102年前の横浜貿易新報社「県下避暑十二勝新撰」 推薦投票募集
- 資料よもやま話 避暑地を選ぶ ―102年前の横浜貿易新報社「県下避暑十二勝新撰」 避暑十二勝成る
- 資料よもやま話 避暑地を選ぶ ―102年前の横浜貿易新報社「県下避暑十二勝新撰」 「避暑号」発行と避暑十二勝誌連載
- 資料よもやま話 避暑地を選ぶ ―102年前の横浜貿易新報社「県下避暑十二勝新撰」 横浜市内の新十二勝地
- 特別資料コーナー オリンピックに行った横浜の郷土史家―栗原清一―
- 資料館だより ▼企画展
展示余話
吉田新田の開発過程と資金調達
―万治2年「請取申金子之事」を素材に―
開発資金の調達
次に開発工事の資金の拠出について考えてみよう。吉田新田の開発にあたり、吉田勘兵衛は8038両余の金額を支出したとされている。貨幣価値が異なるため、正確な比較は難しいが、おおまかに1両=10万円で換算すると8億円程度になる。しかし、吉田新田の開発工事におけるリスクとそのために必要な資金は、吉田勘兵衛が単独で行うにはハードルが高かったようである。
先述した史料には「新田之割ハ十口ニ割、五口ハ惣中間へ取申候、残五口ハ金本へ取申候、右之金子五拾両ハ我等内へ御入候、金高ニ応し新田之地広狭可有候、金本とも新田地割候時分、貴殿へも割口可遣候、少も違背申間敷候」という文言がみられる。
まず、「新田之割ハ十口ニ割、五口ハ惣中間へ取申候、残五口ハ金本へ取申候」とは開発資金の調達方法を明示したものである。吉田新田開発のための資金は、全体を一〇口=10株に分け、半分の五口=5株を「惣中間」が、残りの五口=5株を「金本」が、それぞれ支出することとなっている。この内、「金本」は「金元」とも記され、新田開発の中心人物である吉田勘兵衛を指している。つまり吉田勘兵衛が開発資金の半額を、残りの半額については「惣中間」が支出することとなる。そして「金本」=吉田勘兵衛と「惣中間」は、「新田御中間衆中」という共同事業経営体を結成し、吉田新田の開発事業を展開していくことになる。
実際に寛文2年(1662)〜同3年(1663)における小作証文の宛名は、「新田御中間衆中」宛となっており、寛文4年(1664)に吉田勘兵衛宛といった個人宛の小作証文が出されるまでは、吉田新田の耕地については「新田御中間衆中」が共同で維持管理していたのである。