「開港のひろば」第131号 |2016(平成28)年2月3日発行
- 企画展 日独修好150年の歴史 ―幕末・明治のプロイセンと日本・横浜
- 企画展 ドイツと日本の交流の足跡 ―遺された資料から― 海外で刊行された新聞の挿絵
- 企画展 ドイツと日本の交流の足跡 ―遺された資料から― 使節団が持ち帰ったもの
- 企画展 ドイツと日本の交流の足跡 ―遺された資料から― シーボルト関係資料
- 展示余話 三分小学校における音楽教育の展開 ―「六浦荘村立三分小学校沿革誌」にみる―
- 展示余話 三分小学校における音楽教育の展開 ―「六浦荘(むつうらのしょう)村立三分(さんぶん)小学校沿革誌」にみる― 六浦不二による音楽教育
- 展示余話 三分小学校における音楽教育の展開 ―「六浦荘(むつうらのしょう)村立三分(さんぶん)小学校沿革誌」にみる― その後の音楽教育
- 資料よもやま話 横浜海岸教会所蔵資料の公開にあたって 横浜海岸教会の歴史
- 資料よもやま話 横浜海岸教会所蔵資料の公開にあたって 横浜海岸教会所蔵資料の概要
- 資料よもやま話 横浜海岸教会所蔵資料の公開にあたって
- 資料よもやま話 横浜海岸教会所蔵資料の公開にあたって 教会資料の保存と活用
- 特別資料コーナー 横浜海岸教会所蔵資料から 初代牧師、稲垣信(いながき まこと)関係資料
- 資料館だより ▼企画展
企画展
ドイツと日本の交流の足跡
―遺された資料から―
海外で刊行された新聞の挿絵
企画展示の開催にあたっては、ドイツから多くの資料を出品いただいた。ここでは、そうした資料を含め、ドイツと日本の交流の歴史を現在に伝える資料を紹介したい。プロイセン使節団が同国海軍の蒸気軍艦アルコーナ号に乗って江戸に到着したのは1860年9月4日の夕刻で、使節団は8日に江戸の三田付近に上陸した。その後、増上寺付近に置かれた赤羽接遇所と呼ばれる建物に入り、この建物を拠点に幕府との交渉を始めた。1頁に掲載した絵は、上陸直後の使節団を描いた絵で、フランスのパリで発行された新聞「イリュストラシオン」の挿絵である。当時、ヨーロッパやアメリカで刊行された新聞には日本から送られた情報が掲載されることがあり、プロイセン使節団の動向も挿絵付きで報じられた。
新聞の刊行日は1860年12月29日で、パリの人びとはプロイセンと日本の通商条約締結に関する情報を約4ヶ月後に新聞記事から知ったことになる。また、①はプロイセン使節団が滞在した赤羽接遇所付近の光景を、②は江戸城を描いたものである。どちらの絵も使節団が帰国後に刊行した『オイレンブルク日本遠征記』に収録されたものであるが、こうした本からも日本の様子が海外に紹介され、ヨーロッパの人びとは日本についての認識を深めることになった。
『オイレンブルク日本遠征記』口絵より 当館蔵
『オイレンブルク日本遠征記』口絵より 当館蔵