「開港のひろば」第130号 |2015(平成27)年9月30日発行
- 企画展 その音、奇妙なり ―横浜・西洋音楽との出合い―
- 企画展 「日露戦争下の少年音楽隊」 音楽隊の編成
- 企画展 「日露戦争下の少年音楽隊」 町屋少年音楽隊の設立経費
- 企画展 「日露戦争下の少年音楽隊」 市域の音楽隊
- 展示余話 人力車の盛衰
- 展示余話 人力車の盛衰 人力車の普及
- 展示余話 人力車の盛衰 交通機関の対立
- 資料よもやま話 武田久吉と日本山岳会の仲間たち ―「武田家旧蔵アーネスト・サトウ関係資料」他から
- 資料よもやま話 武田久吉と日本山岳会の仲間たち ―「武田家旧蔵アーネスト・サトウ関係資料」他から 『山岳』創刊号二つの見積書
- 資料よもやま話 武田久吉と日本山岳会の仲間たち ―「武田家旧蔵アーネスト・サトウ関係資料」他から 昭和20年の小島烏水書簡
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- 特別資料コーナー 横浜カントリー&アスレティック・クラブ(YC&AC)のスポーツ・シーン
- 資料館だより ▼企画展
資料よもやま話
武田久吉と日本山岳会の仲間たち
―「武田家旧蔵アーネスト・サトウ関係資料」他から
『山岳』創刊号二つの見積書
城数馬から久吉宛ての大判洋紙3枚にペンで書かれた書簡がある。文字はかなり薄れている。日付は12(カ)月3日と読める。年はないが、内容から山岳会創立間もない1905(明治38)年12月3日の書簡だと推測できる。
城について、久吉は戦後、小島烏水記念小集会でおこなった講演(「日本山岳会の創立と小島烏水君」『山岳』1949年10月刊初出、武田久吉著『山への足跡』二見書房、1974年再版所収)で次のように語っている。
同じ山岳会の発起人になりました城数馬という人は、われわれからみるとはるか年上の大先輩で、何でも本職は弁護士で、後東京市会議員となり最後に朝鮮へ行って覆審法院長となり、彼地で亡くなられましたが、…城氏は高山植物に非常に興味をもっていた人で、あちこち高山を歩いて植物を根ごと採集し、…日光の五百城[文哉]氏に托して栽培してもらい、時折東北地方に旅行の途次など立ち寄ってそれを眺めたり、…女貌山などに登って山草をとって楽しんでいた…小島君の案で社会的に相当の地位のある人を発起人に加えた方がよかろうというので、…私が城氏にこういう話があるんだが加わってもらえないかといったところがそれは面白いだろう、なんとかやってみようといわれた
書簡の1枚目は山岳会の主意書と規則の印刷に関する久吉への指示である。当面の事務所を日本橋区室町にあった城事務所内とする、とも書かれてある。
残り2枚は山岳会の雑誌『山岳』創刊号(1906年4月発行)の見積書である。当初200頁建てで考えていたが、150頁【図3】に変更したことがわかる。
城数馬の久吉宛て書簡 1905年[12]月3日付
このあたりの経緯も前掲講演録(「日本山岳会の創立と小島烏水君」)に詳しい。
その頃は東京でも一番いい印刷所でやれと高頭君が贅沢でしたから、…中のテクストの所は菊判で紙だけは四六二倍判とし、…大体百五十頁にまとめあげる、もしそれ以上になる場合はこれを附録とする。…二百頁、三百頁にすると毎号そのくらいの雑誌に是非しなければならないということになっては具合が悪い