「開港のひろば」第130号 |2015(平成27)年9月30日発行
- 企画展 その音、奇妙なり ―横浜・西洋音楽との出合い―
- 企画展 「日露戦争下の少年音楽隊」 音楽隊の編成
- 企画展 「日露戦争下の少年音楽隊」 町屋少年音楽隊の設立経費
- 企画展 「日露戦争下の少年音楽隊」 市域の音楽隊
- 展示余話 人力車の盛衰
- 展示余話 人力車の盛衰 人力車の普及
- 展示余話 人力車の盛衰 交通機関の対立
- 資料よもやま話 武田久吉と日本山岳会の仲間たち ―「武田家旧蔵アーネスト・サトウ関係資料」他から
- 資料よもやま話 武田久吉と日本山岳会の仲間たち ―「武田家旧蔵アーネスト・サトウ関係資料」他から 『山岳』創刊号二つの見積書
- 資料よもやま話 武田久吉と日本山岳会の仲間たち ―「武田家旧蔵アーネスト・サトウ関係資料」他から 昭和20年の小島烏水書簡
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- 特別資料コーナー 横浜カントリー&アスレティック・クラブ(YC&AC)のスポーツ・シーン
- 資料館だより ▼企画展
企画展
「日露戦争下の少年音楽隊」
今回の展示で注目していただきたい資料として、日露戦争が始まった明治37(1904)年頃に地域の少年・青年たちにより編成された音楽隊に関するものがある。
こうした音楽隊は、日清戦争終了直後の明治28(1895)年後半にも、当時の横浜市域において流行していたようである。同年8月22日発行の『横浜市教育会雑誌』13号には「会員 勿来樵夫」による「小学校生徒が組織せる音楽隊」という文章が掲載されている(図1)。冒頭に「近時横浜市に流行を極めつゝある小学校生徒が組織せる音楽隊」としてその盛行ぶりが記されている。小学校における音楽教育の実施により、音楽隊が結成できるだけのレベルに達していたことをうかがわせる。
音楽隊の編成
こうした音楽隊は日露戦争中に再び流行した。図2は所蔵者の伊東亨氏によれば、明治37(1904)年頃の鎌倉郡本郷村小菅ケ谷(現栄区)の音楽隊の写真であるという。日露戦時下における音楽隊の編成を知る上で貴重な1枚で、10歳前後から10代前半であろうか、前列に6人、後列に5人の、合計11人の少年が写っている。それによれば、大太鼓1(後列右端)・小太鼓1(前列右端)・手風琴(アコーディオン)3、銀笛6という楽器編成になる。服装は洋装で、上着の左右に掛けられた五段の紐の形が特徴的である。学校単位だけではなく、地域を単位とした音楽隊が編成されるようになったと考えられる。