「開港のひろば」第122号 |2013(平成25)年10月18日発行
- 企画展 宣教医ヘボン 〜ローマ字・和英辞書・翻訳聖書のパイオニア〜
- 企画展 ヘボン塾の写真発見
- 企画展 ヘボン塾の写真発見 ヘボン邸中庭の写真
- 展示余話 写真が語る震災復興 −O.M.プール関係資料から− O.M.プール旧蔵の震災関係写真
- 展示余話 写真が語る震災復興 -O.M.プール関係資料から- 山下町方面の瓦礫処理
- 展示余話 写真が語る震災復興 −O.M.プール関係資料から− 大桟橋の復旧とバラックの建設
- 資料よもやま話 飯田快三と関東大震災 理屈屋と銭貰ひ御無用
- 資料よもやま話 飯田快三と関東大震災 腸チフスの流行
- 資料よもやま話 飯田快三と関東大震災 震惨苦阿呆陀羅経(しんさいくあほだらきょう)
- 特別資料コーナー ヘボンの息子サムエル・ヘップバーン旧蔵アルバム
- 資料館だより ▼企画展
資料よもやま話
飯田快三と関東大震災
腸チフスの流行
90年前の大正12(1923)年にさかのぼろう。関東大震災直前、大綱村周辺では伝染病の腸チフスが流行していた。村では、おそらくは長男で村長の飯田助夫をつうじて、隠居身分にあった快三に広報用の衛生宣伝図画の執筆を依頼した。8月30日収入役・吉原愛之助はお礼の「焼酎」とひきかえに、衛生図画3枚を手に入れた。帰途、自転車で転んだ吉原は、3枚の内の1枚を小川に流して失ってしまうが、残った二枚は役場で孔版(ガリ版)印刷されて配布される。印刷された図画は31日に快三の手に渡ったと思われ、飯田家文書中に綴られている。失われた1枚は、後日快三自身が備忘のために書類上に書き留めた。患者の衣類を洗濯する図がそれである。「フントニ(ほんとに−平野)病人ノ汚物毎日困リマス」とセリフがあるが、どこかほのぼのとしてユーモラスである。
(『大正大震大火災号第一 十二年九月一日記』飯田助知家文書・神奈川県立公文書館寄託)
震災当日は、大綱尋常小学校で病者隔離のための避病院増設ほかについての会議があり、その席で震災が発生した。学校は全壊。村長飯田助夫は助け出されたが、吉原ほか数名は圧死した。快三は「全ク村治ノタメ一命ヲ貢献ス惜ムヘシ悲ムヘシ、嗚呼」と吉原収入役の死を悼んだ。