「開港のひろば」第121号 |2013(平成25)年7月13日発行
- 企画展 被災者が語る関東大震災
- 企画展 地震発生と被災者の行動 関東大震災を描いた小学校教員
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- 展示余話 よみがえった一台の周ピアノ 安城市で初代周ピアノを確認
- 展示余話 よみがえった一台の周ピアノ 国民的童話作家、新美南吉の「同僚」
- 展示余話 よみがえった一台の周ピアノ イギリス系の音
- 資料よもやま話 明治初年の武藏国の寺院と僧侶たち −浄土宗本末寺院明細帳から− 「浄土宗本末寺院明細帳」とは
- 資料よもやま話 明治初年の武藏国の寺院と僧侶たち −浄土宗本末寺院明細帳から− 明治初年の僧侶
- 資料よもやま話 明治初年の武藏国の寺院と僧侶たち −浄土宗本末寺院明細帳から− 横浜市内にあった浄土宗寺院
- 特別資料コーナー 横浜の山車(だし)
- 資料館だより ▼企画展
資料よもやま話
明治初年の武藏国の寺院と僧侶たち
−浄土宗本末寺院明細帳から−
幕末から明治初年にかけて、宿場や村の寺院は葬式や法事をとりおこなう場所としてだけではなく、村の寄合や祭りがおこなわれた場所でもあった。また、僧侶の中には文化人として活動する者もあり、寺院が地域の文化活動の拠点になることも多かった。しかし、どのような僧侶がどこの寺院にいたのかを知るための資料は案外残っていない。そこで、ここでは明治5(1872)年に作成された「浄土宗本末寺院明細帳」を題材に、当時、どのような人物が僧侶として活動していたのかを紹介してみたい。
「浄土宗本末寺院明細帳」とは
「浄土宗本末寺院明細帳」は、明治5(1872)年に、神奈川県の管轄下で武藏国内に含まれる地域にあった浄土宗の寺院を書き上げたもので、各寺院の沿革や檀家数、僧侶の人数や履歴をまとめたものである。政府が、こうした台帳の作成を寺院に命じたのは明治3(1870)年7月のことで、全国各地に同時期に作成された「寺院明細帳」と呼ばれる宗派ごとの簿冊が残されている。ここで取り上げる「浄土宗本末寺院明細帳」は、大正15(1926)年に、『横浜市史稿』の編纂のために謄写されたもので(『横浜市史稿写本』)、当時、原本は泉谷寺(現在、港北区小机町)が所蔵していたと伝えられる。写本であるため写し間違いもあるが、明治初年の寺院と僧侶の実態を伝える貴重な資料である。
「浄土宗本末寺院明細帳」は全部で89カ寺の寺院と各寺院で活動する僧侶123人について記している。収録寺院の所在地は武藏国多摩郡・都筑郡・橘樹郡・久良岐郡の四郡で、北は東京都八王子市一帯、南は横浜市金沢区、西は川崎市から鶴見区一帯、西は保土ヶ谷区にまで及んでいる。現在、八王子市一帯は東京都に含まれているが、明治初年の段階では当該地域は神奈川県に含まれ、「浄土宗本末寺院明細帳」には多摩郡に所在した寺院も多く記載されている。
「浄土宗本末寺院明細帳」の記述からは、各寺院の本末関係・開山・檀家数・境内面積などを知ることができる。たとえば、旧神奈川宿(神奈川区)にあった慶運寺については「総本山知恩院末、吉祥山慶運寺、宗祖円光大師八世法孫、開山音誉聖上人、嘉吉年間創建、境内二千四百四十一坪、檀家三百軒」と記されている。やや難しい言葉が並んでいるが、慶運寺が京都市の浄土宗総本山知恩院の末寺であり、山号が吉祥山であったとある。また、浄土宗の宗祖である円光大師(法然)の8世法孫にあたる音誉聖上人が嘉吉年間(1441〜1444)に慶運寺を創建し、明治5(1872)年段階で檀家が300軒、境内の広さが2400坪以上であったことが分かる。他の寺院についても同様の記述があり、この資料を読むことによって、当該地域の浄土宗の寺院の概略を知ることができよう。