「開港のひろば」第115号 |2012(平成24)年2月1日発行
- 企画展 下岡蓮杖開業150周年記念 フォトスタジオの聖地・横浜 −1860’s〜1960’s−
- 企画展 横浜の写真館の歩み −1860’s〜1960’s− 下岡蓮杖と湿板写真の時代
- 企画展 横浜の写真館の歩み −1860’s〜1960’s− 横浜写真から絵葉書へ
- 企画展 横浜の写真館の歩み −1860’s〜1960’s− 大衆社会と拡がる写真ニーズ
- 企画展 横浜の写真館の歩み −1860’s〜1960’s− 戦争と写真館
- 展示余話 所蔵資料の来し方、行く末 コレクションとしてのまとまり
- 展示余話 所蔵資料の来し方、行く末 その他寄贈資料
- 展示余話 所蔵資料の来し方、行く末 「未来に伝える横浜の記憶」
- 資料よもやま話 元イギリス駐屯軍兵士、ヴィンセント家の墓 横浜英仏駐屯軍
- 資料よもやま話 元イギリス駐屯軍兵士、ヴィンセント家の墓 追悼記事
- 資料よもやま話 元イギリス駐屯軍兵士、ヴィンセント家の墓
- 資料よもやま話 元イギリス駐屯軍兵士、ヴィンセント家の墓 妻エリザは部隊とともに来浜か
- 特別資料コーナー 太平洋を渡った幕末の船大工 鈴木長吉関係資料
- 資料館だより ▼企画展
展示余話
所蔵資料の来し方、行く末
「未来に伝える横浜の記憶」
平尾榮美(ひでよし)氏(1921〜2011)は、長者町の西洋映画専門館オデヲン座を経営する「平尾商会」主・平尾榮太郎氏の長男として生まれ、一歳半のとき関東大震災で罹災して両親と乳飲み子の弟を失った。その後、横浜高等工業専門学校に学んだが、病弱であった平尾氏は定職に就くことなく、建築・内装関係の仕事をしつつ、その生涯で、全国の郷土玩具や版画家武井武雄作品などのコレクションを残した。「平尾榮美コレクション」は遺言によって寄贈先が決められ、当館には「横浜資料」が収められる。
これまで、映画資料や横浜絵はがきなどの展示利用をつうじて、平尾氏と10年余にわたる親交をむすんだ筆者は、各コレクションを仕分ける責任を負った。ご親戚関係者の立ち会いの下で、コレクションごとに搬出作業が始まったのは初夏であった。今回の「展示」準備の時期と重なり、困難ではあったが、11月にわたる都合7回の「平尾コレクション」の精査は実に楽しい時間となった。
平尾氏の横浜絵はがきのコレクションは、1970〜80年代の横浜市広報課編『市民グラフ ヨコハマ』への提供などでひろく知られていた。その全容は当館所蔵の横浜絵はがきを超えるやも知れぬボリュームである。それが当館所蔵となるよろこびは一入であったが、今回の調査で、思いもよらない資料が発見されて、よろこびは倍増した。
最大のものは、やや小振りの彩色写真帳【図5】である。人物・風俗写真もあるが、風景写真には横浜居留地を撮したものが多く、当館所蔵写真にないものが多数含まれていた。また一枚物の写真にも珍しいものがあった。その他、横浜で発行された雑誌類やチラシ、古書学者の斎藤昌三関係図書など、平尾氏の広範にわたる収集内容がうかがえた。
故平尾榮美氏旧蔵・当館保管〔彩色写真帳〕所収
資料整理は長い時間がかかることを親戚関係者にお願いしたが、コレクション全容の公開はいまだ目処がたたぬ状態にある。しかし今回の「展示」には親戚関係者のご理解をえて、彩色写真などを「未来に伝える横浜の記憶」と題して、のぞきケース一つを平尾コレクションにあてた。資料収集の「来し方」をたどる展示のなかで、最後は今後も引き続き行われるという意味での「行く末」の一端を紹介する必要を感じたからである。震災で家族を失った平尾氏は、住居は平屋に住むことにこだわった。生前から何十回とかよったその平尾氏の居宅を辞するとき、「横浜の記憶」を後世に残すつとめの重さを感じ入らざるをえなかった。
(平野正裕)