「開港のひろば」第112号 |2011(平成23)年4月27日発行
- 開館30周年を迎えるにあたって 横浜開港資料館長 上山和雄
- 企画展 開館30周年記念 Part1 たまくすの木が見た横浜の157年 -ペリー来航から開港資料館まで たまくす、世界史へ登場
- 企画展 開館30周年記念 Part1 たまくすの木が見た横浜の157年 −ペリー来航から開港資料館まで イギリス領事館の庭木として
- 企画展 開館30周年記念 Part1 たまくすの木が見た横浜の157年 −ペリー来航から開港資料館まで 関東大震災の猛火に焼かれる
- 企画展 開館30周年記念 Part1 たまくすの木が見た横浜の157年 −ペリー来航から開港資料館まで 「由緒の玉楠が欲しい」
- 展示余話 横浜の学校歯科衛生と榊原勇吉
- 展示余話 イセザキ界隈成立前史 学校歯科医と横浜市学校歯科医会
- 展示余話 イセザキ界隈成立前史
- 資料よもやま話 『横浜新報』と久留島武彦 -横浜で始まったお伽倶楽部 はじめに
- 資料よもやま話 『横浜新報』と久留島武彦 −横浜で始まったお伽倶楽部 お伽倶楽部の設立
- 資料よもやま話 『横浜新報』と久留島武彦 −横浜で始まったお伽倶楽部 川上音二郎・貞奴とお伽芝居
- 特別資料コーナー カスパー・ブレンワルドが見た幕末・明治の横浜
- 資料館だより ▼ 開館30周年記念講演会
企画展
開館30周年記念 Part1
たまくすの木が見た横浜の157年
−ペリー来航から開港資料館まで
イギリス領事館の庭木として
横浜が開港すると日本国内からだけでなく、海外からも多数の人びとが横浜にやって来た。幕府は関内の西半分を日本人に、東半分と山手を外国人に貸し与えた。外国人居留地と呼ばれる地域である。たまくすの立つあたりはイギリス領事館の一部となることが決まったが、1866年、たまくすは大火(慶応の大火)に遭い、樹形が大きく変形してしまったと考えられる(岩野修「歴史の証人『玉楠』は三代目?」本誌73号、2001年)。その後、イギリス領事館が建てられた。
(『ファー・イースト』1871年7月17日号)部分
横浜市の名木となる
1889年に市制施行によって横浜市が誕生し、6大都市の一つに数えられた。当時の市域面積は、横浜港周辺の5.4平方キロメートルにすぎなかったが、人口は10万人を超え、日本で最初の近代的水道が完成し、電灯もひかれるなどした。開港50周年を迎えた1909年には、盛大な祭りが開かれて開港記念会館の建設などが決まった。横浜市章(浜菱)と市歌が制定されたのもこの年である。街の発展を見守ってきたたまくすは、横浜市の名木に指定された。