「開港のひろば」第111号 |2011(平成23)年2月2日発行
- 企画展 「痛っ歯が痛い―歯科医学の誕生と横浜―」
- 企画展 ライオン講演会と 横浜の口腔衛生普及活動 小林商店と口腔衛生普及活動
- 企画展 ライオン講演会と 横浜の口腔衛生普及活動
- 企画展 ライオン講演会と 横浜の口腔衛生普及活動 衛生展覧会の開催
- 展示余話 イセザキ界隈成立前史 1 幕末の吉田新田沼地
- 展示余話 イセザキ界隈成立前史 3 関外沼地の開発
- 展示余話 イセザキ界隈成立前史 4 飯田廣配の目論み
- 資料よもやま話 「萩原文庫」(洋書)の一般公開にあたって 歴史家、萩原延壽
- 資料よもやま話 「萩原文庫」(洋書)の一般公開にあたって 当館のサトウ関係資料
- 資料よもやま話 「萩原文庫」(洋書)の一般公開にあたって 洋書839冊の公開
- 特別資料コーナー 昔の年賀状
- 資料館だより ▼企画展
特別資料コーナー
昔の年賀状
日本で年賀の書状のやりとりが始まったのは、7世紀後半以降と考えられています。明治4(1871)年の郵便制度開始、さらに明治6年の郵便葉書の発行は、年賀状が人びとの間に広まるきっかけとなりました。現在のように、年賀状の交換が国民の年中行事のように定着したのは、明治20年頃と言われています(郵政研究所附属資料館『年賀状の歴史と話題』、平成8年)。ここでは、昔の年賀状を3枚紹介し、当時の世相などに触れてみることにしましょう。
実業家・浅野総一郎(1848〜1930)が明治29年に創立した東洋汽船は、31年にサンフランシスコ航路を開設しました。さらに明治41年には1万3千トン級の大型客船・天洋丸(てんようまる)と地洋丸(ちようまる)を就航させるなど、太平洋航路の拡張に力を入れました。同社の隆昌ぶりが窺えます。
大正時代には、趣向を凝らした個人の年賀状が現れるようになります。二代目下岡蓮杖(れんじょう)は、日本写真界の草創期を担った初代・蓮杖(れんじょう)の長男。写真の背景(バック)を描くことを生業としていました。「写真後景師」としてのセンスが感じられます(笠原彦三郎旧蔵下岡蓮杖(れんじょう)関係資料 中島良行氏寄附により購入)。
大正12(1923)年9月1日の関東大震災により、東京・横浜は壊滅的な打撃を受けます。翌年の年賀状からは、「復興」にかける人びとの熱い思いが伝わってきます。
その後、昭和12(1937)年に始まった日中戦争、その後の太平洋戦争中に年賀状は次第に減少し、昭和20年にはほとんど無くなってしまいます。敗戦後、人びとの生活が復興へと進むなか、年賀状も再び増え始め、昭和24年からは、お年玉くじ付の官製年賀葉書の使用が始まりました。
(松本洋幸)