「開港のひろば」第110号 |2010(平成22)年10月27日発行
- 企画展 ときめきのイセザキ140年 ―盛り場からみる横浜庶民文化―
- 企画展 賑わいを生み出すもの 大火のあとさき
- 企画展 賑わいを生み出すもの 喜楽座の躍進と苦悩
- 企画展 賑わいを生み出すもの 「伊勢ブラ」とにぎわい
- 展示余話 「横浜山手 コスモポリタンたちの1世紀」展から イギリス人医学生の「抑留日記」 「抑留日記」を残したデュア
- 展示余話 「横浜山手 コスモポリタンたちの1世紀」展から イギリス人医学生の「抑留日記」 横浜大空襲の記録
- 展示余話 展示記念連続講座の開催 横浜と東京の外国人社会
- 展示余話 展示記念連続講座の開催 関東大震災と横浜・神戸の外国人
- 資料よもやま話 APEC Japan 2010 in Yokohama 開催記念 館蔵絵葉書に見るアジア太平洋地域の諸都市 儁儕乕偺挿偄懌庢傝
- 資料館ニュース 「横濱開港新聞」が日本新聞協会賞を受賞
- 資料館だより ▼企画展示
企画展
賑わいを生み出すもの
「伊勢ブラ」とにぎわい
昭和初期、銀座をぶらぶらする「銀ブラ」に似せた「伊勢ブラ」の語が生まれた。関東大震災後のイセザキは野澤屋・松屋を中心とする百貨店と、シネマが集客をささえたが、他方で歌舞伎を興行する本格的な劇場は復興しなかった。当時、イセザキの魅力は百貨店・映画館、そして地元の名店ばかりで支えられたのではなかった。その一例として、昭和9(1934)年ころの伊勢佐木町2丁目「花見せんべい」の店頭をみてみよう。
人だかりのなかで、頭二つ抜きんでている長身のセーラー服姿の男がいる。森永製菓から派遣された「キャラメル大将」なる宣伝販売員である。身長2メートル13センチ、軒下に27.4センチの手形が下がっている。もと白頭山というしこ名の力士であった。「キャラメル大将」は珍しさもあって、子どもたちに大人気であった。
昭和9(1934)年ころ 小宮淳宏家蔵
震災直後の大正13(1924)年1月、森永は伊勢佐木町の入口に直営店「森永キャンデーストアー」を進出させた。また、キャラメル・チョコレート・ビスケット・ドロップスの4主力商品は類似品を置かないという条件の下で、全国から販売店を募り、昭和3(1928)年から「森永ベルトライン」と名付けるチェーン店網を展開した。加盟店に対して森永は、接客やディスプレイなどの手厚い指導をし、統一した企業イメージを保持しつつ販売を拡大した。花見せんべいはそのような加盟店の一つであった。
「キャラメル大将」ばかりではない。森永が昭和7年より募集した「スヰートガール」は大評判になり、キャンデーストアーやベルトライン加盟店の店頭に登場するときは黒山の人だかりが生まれた。イセザキのにぎわいに、外部の資本が参入する契機となったのである。
(平野正裕)