ペリー横浜来航170周年記念ミニ展示・パート3黒船接近!絵図にみる幕末の海防体制 ミニ展示コーナー
19世紀、ロシアの南下政策や西洋諸国のアジア進出によって、日本近海には異国船(黒船)が頻繁に姿を現わすようになりました。幕府はあいつぐ異国船来航事件に対応するため、文政8年(1825)2月、異国船打払令(無二念打払令)を発し、沿岸に近づく異国船を見かけたならば、迷うことなく砲撃を加えるように命じます。
しかし、隣国の清がイギリスに敗北したアヘン戦争(1840~1842)に関する情報が伝わると、幕府は天保13年(1842)7月、打払令を改め、薪水給与令を発しました。この天保薪水給与令のもと、異国船発見時の対応は、まず来航目的を確認し、食料・薪・水などに乏しい様子であれば希望する品物を与えて退去させるという方式に変更されました。ただし、異国船が不法行為に及んだ場合は速やかに打ち払いを実行し、臨機応変に対応することが警衛担当の武士たちには求められました。
そうした中、江戸近海にさまざまな台場(砲台)や陣屋(兵営)が建設され、諸大名が配置されました。台場、陣屋、大名の配置などは絵図として表現され、世上に広まっていきました。
今回のミニ展示パート3では、横浜開港資料館が所蔵する絵図を通して、異国船に対峙するために構築された幕末の海防体制について紹介します。
開催概要
- 会期
- 2024(令和6)年8月16日(金)~11月21日(木)
- 会場
- 横浜開港資料館新館2階 ミニ展示コーナー
図 「豆州相州武州上総下総房州海陸御固御場所附」 幕末 当館所蔵
三浦半島から房総半島一帯の海防体制を描いた絵図。海防の拠点である台場・陣屋の配置が□で示され、対岸までの距離が記されています。また、鶴見・生麦の「松平兵部大輔」(明石藩10万石)、本牧の「松平相模守」(鳥取藩32万5000石)、金沢の「米倉丹後守」(武州金沢藩1万30石)など、諸大名の配置を確認できます。
