「開港のひろば」第85号 |2004(平成16)年8月4日発行
金幣アルバムの金蒔絵の表紙 当館蔵
開港によって新しく生まれた都市横浜では、西洋の文化が流入するとともに、それが日本の伝統技術や文化と融合して、さまざまな文物が生み出されました。「横浜写真」もその一つです。それは写真という舶来の技術と、絵付や蒔絵・螺鈿細工など在来の技術を結びつけたものです。この技術をもって、日本の風景や生活を写し撮り、彩色を施し、蒔絵や螺鈿細工の豪華な表紙のアルバムに仕立て、外国人を対象に販売したものです。横浜が製作・販売の中心だったので、「横浜写真」の名称が生まれました。その歴史は幕末に始まり、明治時代の中頃に全盛期を迎えます。
横浜写真は外国人を対象に製作・販売されたものですから、写されたのは、外国人の目を意識して選択された「美しい風景」や「珍しい風習」でした。それは一面的・部分的ながら「古き日本」の諸相を今に蘇らせてくれます。戦後の高度経済成長期以降、風土や生活が国土のかなりの部分で一変してしまっただけに、横浜写真が伝える「古き日本」の映像は、貴重な歴史資料でもあります。
下岡蓮杖と日下部金兵衛(商号「金幣」)は、横浜写真の草創期と全盛期を代表する写真家であり、外国でもRENJIO,
KIMBEIと並び称されました。蓮杖(1823-1914)は伊豆下田の生まれ、ジョン・ウィルソンというアメリカ人からカメラを入手し、文久2年(1862)初頭に開業。日下部金兵衛(1841-1932)は甲府の出身で、イギリス人カメラマン、F・ベアトの助手として修業し、明治14年(1881)頃独立しました。
ユーモアに富む独特の味わいの風俗写真を残した蓮杖に対して、奥行きのある画面構成に印象的な点景人物を配し、見事な彩色を施して、風景写真の傑作を残した金兵衛、今回の企画展示はこの2人の写真家にスポットを当て、今や失われつつある「古き日本」の風景と人びとの生活を紹介するものです。
近年、日本最初の営業写真家フリーマンや日本人最初の営業写真家鵜飼玉川(ぎょくせん)など、「蓮杖以前」の写真家の作品が世に出るようになりました。本展示では、写真伝来以降、横浜写真の誕生に至る、黎明期の日本写真史を物語る資料も展示します。
(斎藤多喜夫)