15.幕末動乱 展示室1
[見学のポイント]
開港後、対外関係がすすむ一方、外国人を殺傷する事件が起きたり、長州・薩摩が外国と戦い敗れたのをきっかけに開国・倒幕に転じたりするなど、政治がますます混乱していった様子が分かる。


幕末動乱
開港後、生糸の輸出を中心に外国貿易が進展し、「咸臨丸」がアメリカへ派遣されるなど対外関係がすすんだが、その一方、井伊大老の暗殺や居留外国人の殺傷が相次ぎ、不穏な情勢となった。横浜の山手には、居留地防衛・居留民保護を目的にしてイギリスとフランスの軍隊が駐屯を開始した。長州藩や薩摩藩は、外国軍隊と戦って敗れたことをきっかけに開国・倒幕へと藩論を転換した。幕末の政局はますます混迷を深め、江戸幕府の崩壊、維新政府の成立へと急展開した。
[絵図]「江戸」から「東京」へ
慶応4年(1868)正月に鳥羽・伏見の戦いで幕府軍を破った新政府軍は、4月に江戸を接収し、7月に江戸を東京に、次いで9月に慶応を明治と改めた。東京改称の詔書は、瓦版で広く江戸市中に伝えられた。
[写真]イギリス軍に占拠された長州藩の前田砲台
文久3年(1863)、長州藩は下関海峡を通航中の外国船を砲撃、翌年、英仏米蘭4カ国連合艦隊は報復攻撃を行った。外国軍の圧勝は長州藩の藩論を攘夷から開国へと転換させた。
[写真]生麦事件の現場
文久2年(1862)、薩摩藩島津久光の行列を乱したとして、川崎大師見物に向かうイギリス人一行が殺傷された事件の現場。事件は翌年の薩英戦争へと発展した。後年、この附近に記念碑が建てられた。
[写真]横浜に駐屯した英仏軍隊
文久3年(1863)、イギリスとフランスは、相次ぐ攘夷事件に対して自国軍隊による居留地防衛を主張し、横浜に軍隊を駐屯させた。写真は、山手に駐屯したイギリス海兵隊と野営テント群。