3.開国前夜① 展示室1
[見学のポイント]
幕府が苦悩する中、日本の開国・開港へ向けての欧米各国の動きが盛んになり、慌ただしくなった周辺の様子が分かる。


開国前夜
19世紀に入ると、日本の沿岸には異国船の通航や漂着がしきりとなった。ロシア、イギリス、フランス、アメリカなどの欧米諸国が寄港地や交易を求めて沿岸に迫るようになり幕府は対策に苦慮した。
1840年代にはアヘン戦争で中国がイギリスに敗北したとの衝撃的な情報が日本国内に広まり、幕府は異国船打払令を廃止するにいたった。弘化元年(1844),オランダ国王は、開国を勧告する国書を幕府に送り、さらに嘉永5年(1852)には長崎のオランダ商館長が、翌年のアメリカ使節来航を予告した。ペリー艦隊の来航が目前に迫っていた。
[写真]長崎出島のオランダ商館
鎖国中も交易が行われ、海外情報の重要な窓口となった。
[地図]異国船の出没
18世紀末のロシア船の来航からペリー来航まで(1778~1853年) の異国船の来航状況を示した概念図。漂着船などは原則として含まない。
[絵図]
文化元年、ロシア使節が長崎に来航して通商を求めた。
[絵図]
文化5年オランダ船を装って長崎港に侵入したイギリス軍艦フェートン号
[絵図]アメリカの捕鯨船
1840年にアメリカの捕鯨業は最盛期をむかえ、遭難者救助や避泊地のために日本の開港が求められた。
[写真]琉球の首里城
[絵図]中国の船の図
[絵図]中国人の図
[絵図]対馬の朝鮮通信使
[絵図]松前奉行の記録に描かれたアイヌ
鎖国下の交流
「鎖国」中にも国外に開いた窓があった。長崎では、オランダ・中国と、対馬藩を通じて朝鮮と、薩摩藩を通じて琉球と、松前を通じて北海道との交流や交易が行われた。