運輸・通信 よこはま事始め
京浜間蒸気船
慶応3年(1867年)10月、横浜の鹿島屋亀吉(かしまやかめきち)と江戸の松坂屋弥兵衛(まつざかややへえ)が就航させた稲川丸(いながわまる)が最初。のち岸田吟香(きしだぎんこう)の経営になる。鈴木保兵衛(すずきやすべえ)らの弘明丸やホイト兄弟のシティ・オブ・エド号も運航していた。

乗合馬車(のりあいばしゃ)
明治2年(1869年)、本町通りから神奈川に直通する馬車道が開通し、2月頃にはランガンとジョージ、5月には下岡蓮杖(しもおかれんじょう)ら日本人商人の共同出資になる成駒屋(なりこまや)が、京浜間乗合馬車を開業した。
人力車
明治2年(1869年)、東京の和泉要助(いずみようすけ)らが発明したとされる。宣教師ゴーブルの発明とする説もあるがさだかでない。明治3年にはすでに神奈川・川崎間、4年には横浜から川崎・藤沢の間で営業が始まっている。
自転車
横浜居留地には開港後間もなく伝来した。二輪車だけではなく三輪車もあった。明治12年(1879年)には梶野甚之助(かじのじんのすけ)が蓬莱町(ほうらいちょう)に製造所を設立、明治13年頃には石川孫右衛門(いしかわまごえもん)が元町で貸し自転車屋を開業した。
外国郵便
明治4年(1871年)3月、郵便制度が創始されるが、外国郵便は在日外国郵便局が取り扱っていた。日米郵便交換条約の締結により、アメリカ郵便局の業務が横浜郵便局に移管され、明治8年正月5日に開業式が行われた。その後英仏郵便局も廃止され、外国郵便はすべて日本政府の所管となる。

電信
明治2年(1869年)8月、横浜灯明台役所(とうみょうだいやくしょ)と横浜裁判所の間に電信を架設して試験が行われ、9日から官用通信(かんようつうしん)を実施、これが日本最初の実用通信である。12月25日には京浜間に架設を終わり、公衆電報を受け付けた。