横浜市開港記念館

潜水

増田万吉(ますだまんきち)が、弾薬倉庫船の船底修理をしたのがきっかけで潜水術を学び、明治5年(1872年)頃開業した。明治22年に内外潜水業請負会社を創立、28年には沈没船艦引上合資会社の潜水部主任となった。

石鹸

堤磯右衛門(つつみいそえもん)が横須賀製鉄所で働いていた時、フランス人技師ボエルから製法を伝授され、明治6年(1873年)に工場を設立、7月から売り出したのが国産石鹸の最初。ブラウァーやコッキングも製造した。

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マッチ

明治8年(1875年)正月、持丸幸助(もちまるこうすけ)がアメリカから機械を取り寄せ、平沼に工場を建てた。これは、従来日本最初とされる東京の新燧社(しんすいしゃ)よりも早い。同年ブラウァーも戸部で汽車印マッチを製造した。これと持丸の工場は同一の可能性があるが、なお断言できない。その製品の販売に従事していた菊林林蔵(きくばやしりんぞう)も、のち三吉町に製造場を設立している。

塗装

記録の上で確かなものとしては、1865年(慶応元年)3月、大工のT.S.スミスが塗装業を始めたのが最初である。中国人のアファイとアキムがこれに次ぐ。日本人では明治初年に渋商(しぶしょう)からペンキ塗装業に転じた伊藤幸太郎(いとうこうたろう)と桜井鉄五郎(さくらいてつごろう)が早い。

時計

1859年(安政6年)末には「トケイヤ・フヲルコ」こと機械師フォークの存在を確認しうる。記録の上で確かなものとしてはこれが最初である。1864年には、スイス人ファヴルブラントが開業、時計の輸入と修理にあたり、日本人時計師の育成にも貢献した。日本人では、明治初年に時計商を兼業した山田勘次郎(やまだかんじろう)が早い。

タイプライター

明治の中頃、ファヴルブラントはタイプライターの修理を始めたという。これが最初とされる。その弟子の鈴木芳之助(すずきよしのすけ)は36年に独立して鈴木時計店を開業、やはりタイプライターの修理を行った。その後横浜ではタイプライターや計算器の製作が盛んになる。