横浜市開港記念館

写真

横浜最初の職業写真家はフリーマン、1860年(万延元年)には開業していた。その事業を引き継いだ鵜飼玉川(うかいぎょくせん)が日本人第一号だが、開業したのは江戸。1862年初頭開業の下岡蓮杖(しもおかれんじょう)は横浜最初の日本人写真家。

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テーラー

横浜に進出した最初のテーラーは、1863年(文久3年)12月に開業したラダージ・オエルケ商会、ロトムント・ウィルマン商会がこれに次ぐ。中国人ではコック・アイ、日本人では増田文吉(ますだぶんきち)と関清吉(せきせいきち)が早い。

ドレス・メイカー

1863年(文久3年)2月7日に開業したピアソン夫人のサムエル・クリフトン支店が最初。日本人では宣教師ブラウン夫人の傭人であった沢野辰五郎(さわのたつごろう)が早い。ブラウン夫人開業説は誤りである。

クリーニング

外国人相手の洗濯屋は開港時から存在したが、西洋流の洗濯業としては、文久年間に開業した渡辺善兵衛(わたなべぜんべえ)が最初。小島庄助(こじましょうすけ)、脇沢金次郎(わきざわきんじろう)がこれに次ぐ。外国人では1865年(慶応元年)にW.H.スミスが開業した。

理容

1864年(元治元年)3月に横浜ホテルで開業したファーガスンのヘアー・ドレッシング・サロンが最初。日本人では明治元・2年頃に開業した小倉虎吉(おぐらとらきち)、松本定吉らが早い。断髪令(だんぱつれい)が出たのは明治4年のことである。

軍楽隊

明治2年(1869年)10月、薩摩藩の藩兵のうち年少者30名が横浜に派遣され、妙香寺(みょうこうじ)でイギリス陸軍の軍楽長フェントンから軍楽を習った。この薩摩藩軍楽隊が海軍軍楽隊の母体となる。

洋楽器

明治5年(1872年)頃、ピアノ調律師クレーンが開業、カイル商会を経てドーリング商会に継承され、ピアノとオルガンの製造・修理を始めた。ここで働いていた西川虎吉(にしかわとらきち)は明治16年に独立し、日ノ出町に工場を設けてオルガン製造を始めた。これが日本人による洋楽器製造の第一号とされる。

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