横浜市開港記念館

L.ペリーはどのようにして日本
にほん
に来
き
たの?

ペリーが日本にほんに開国かいこくをすすめるために来日らいにちした19世紀半せいきはんばは、地中海ちちゅうかいと紅海こうかいをむすぶスエズ運河うんがも、大西洋たいせいようと太平洋たいへいようをむすぶパナマ運河うんがもありませんでした。長ながい船旅ふなたびをつづけるためには、港みなとで、燃料ねんりょうの石炭せきたんや水みず、食糧しょくりょうなどを補給ほきゅうしなくてはなりませんでした。

ペリー艦隊かんたいは、1852年ねん11月がつ24日かにアメリカ東海岸ひがしかいがんの海軍基地かいぐんきちノーホークを出発しゅっぱつし、大西洋上たいせいようじょうのカナリア諸島しょとう・セントヘレナ島とうに立たち寄よりアフリカ大陸たいりくを南下なんかします。1853年ねん1月がつケープタウンをへて、インド洋ようを東ひがしに進すすみ、セイロン(現げんスリランカ)、シンガポール。そののち中国ちゅうごくに到達とうたつして香港ほんこん、上海しゃんはい。沖縄おきなわには5月がつ26日にちに到着とうちゃく、小笠原諸島おがさわらしょとうをへて浦賀うらがには7月がつ8日かに来航らいこうしています。

ペリーは半年以上はんとしいじょうもかけて、日本にほんにやってきたのです。