横浜市開港記念館

D.ペリー艦隊乗組員
かんたいのりくみいん

ペリーは幕府ばくふと交渉こうしょうする際さいに、将校しょうこうや水兵すいへいをひきいて横浜村よこはまむらに上陸じょうりくしました。

最初さいしょの交渉こうしょうでは500人にんをひきつれたといわれています。

彼かれらはやがて警備けいびにあたった武士ぶしだけでなく、横浜村よこはまむらや近隣きんりんに村々むらむらの農民のうみんたちとさまざまな交流こうりゅうをくりひろげていきました。

【乗組員のりくみいんの姿すがた】

日本人画家にほんじんがかがえがいた乗組員のりくみいんのすがたです①。乗組員のりくみいんには白人はくじんだけでなく黒人こくじんもいました。中央ちゅうおうの赤あかい服ふくをきた人物じんぶつは軍楽隊ぐんがくたいの隊員たいいんです。音楽おんがくにあわせて行進こうしんする乗組員のりくみいんのすがたを見みた日本人にほんじんは、その規律きりつただしさに驚おどろきました。

【乗組員のりくみいんの持もち物ものや服ふく】

日本人にほんじんは、乗組員のりくみいんがもっていた西洋せいようのピストルや彼かれらがきていた服ふくに興味きょうみをしめしました。日本人にほんじんの画家がかも、さまざまな絵えを残のこしています。 乗組員のりくみいんの服ふくやサーベル②、ピストル③、アメリカのお金かね・ペン・封筒ふうとうです④。ペリー来航らいこうは、西洋せいようの品物しなものを身近みじかに見みることのきっかけとなりました。