開港と国際交流 よこはま事始め
横浜開港
横浜開港のきっかけとなった安政五ヶ国条約のうち、最初に調印された日米修好通商条約では、1859年(安政6年)7月4日に開港することになっていた。この日はアメリカの独立記念日にあたる。3番目の日露条約で7月1日(陰暦6月2日)とされ、これが実施された。

入港商船の第一号
横浜開港前日の1859年6月30日(安政6年6月1日)、ハード商会の派遣したアメリカ船ワンダラー号が入港、これが第一号である。同商会の代理人、ヴァンリードが搭乗していた。開港当日にはオランダ船シラー号が入港している。
外国商人の開業第一号
1859年(安政6年)7月16日、オランダ商人が幕府の用意した外国人貸長屋を借り受けて開業した。これが第一号である。シラー号で来日したクニフラーと思われるが詳細は不明。ジャーディン・マセソン商会を第一号とするのは誤り。
地番のはじめ
居留地(きょりゅうち)の位置をめぐって外国側と対立があったため、横浜では長崎より少し遅れ、文久元年末頃、居留地に地番が付された。これより以前、各国領事館への商社・商人の登録番号に基づく国籍別商館番号があり、地番に代用されていたらしい。
生糸売り込み
安政6年(1859年)6月23日から28日までの間に、氏名不詳のオランダ商人が購入したのが最初。ついで28日までにエスクリッゲとジャーディン・マセソン商会のバーバーが芝屋(しばや)と契約を結んでいる。甲州屋忠右衛門(こうしゅうやちゅうえもん)や中居屋重兵衛(なかいやじゅうべえ)がこれに続く。

半山直水画 明治期
夜会
外国代表団は当初神奈川の寺院に領事館を置いていたが、文久2年(1862年)3月、最初にオランダが横浜に移転した。翌年そこで催された夜会がこの種の催しものの最初とされるが、「移転披露」(『横浜市史稿(よこはまししこう)』)とするのは疑問。