横浜市開港記念館

企画展
「100年前の旅行アルバム−外国人が撮ったニッポン−」
企画展ハイライト
展示余話
最後の橘樹郡長・福本柳一
資料よもやま話
「国内最古のガス管」発掘ルポ
資料館だより

開催概要

地域との結びつき

 郡長に就任すると、恒例の郡内有志による歓迎会が開かれる。

 会場は日本鋼管会社の社友室で、参会者の主な顔振れは、日本鋼管、浅野セメント、浅野造船、味の素等の社長さん方であった。大勢の美妓が接待する盛大な宴にびっくりしただけで、どんな挨拶をしたか覚えてはいない。それにしても駆け出しの若い郡長一人のために、なぜこんな大袈裟な歓待をするのか不思議に思われた。

 この歓迎会の幹事の一人であった浅野総一郎は、その後も郡役所によく顔を出していたそうである。

 就任直後の戸惑いから暫く日時が経過し、橘樹郡長が多摩川沿いの村々や工場地区一帯の給水を賄っていた二ヶ領用水の管理者であることから、「相当強い権限をもっていることが分かった」。

 郡長の行なう儀礼の一つに、一定の社格以上の神社の祭礼に際して供物を奉納する、「供進士」があった【写真3】。この儀礼に福本は悩まされたようである。

 神前に進むときの歩き方から、礼拝の仕方、柏手の打ち方、笏や祝詞の持ち方、玉串の奉典、祝詞の奏上に至るまで、いちいち所定の型式があり、これを会得するには並大抵の稽古では出来ない。そこで随員役の池谷君に、官舎まで来てもらい猛稽古をやった。

 さらに川崎大師僧正との想い出も記されている。大正一五年正月、僧正の箱根静養に際して、福本は前司法大臣鈴木喜三郎(大師出身)とその子息国久、萩原大師銀行頭取、中村稲毛神社宮司らと同伴し、昼間は囲碁、夜は宴会という、それまでの人生で味わったことのない「桃源郷」のような豪遊を体験した。

 地域の有力者との接触という点で言えば、赴任早々、郡役所を訪れた橘樹郡農会長・飯田助大夫に、「ホホー若い郡長さんだな、しっかりやって下さいよ」と声を掛けられている。飯田助大夫は大正14年10月20日に死去するので、福本が彼に会ったのは死去の直前ということになる。飯田家は綱島の旧家で、当時助大夫の息子の助夫は大綱村(現港北区)村長の任に当たっていた。飯田助夫は11月4日に橘樹郡町村長会のために郡役所へ出頭し、福本と初対面した時の印象を、「民衆主義極めて助才なく円満振り発揮、初対面の気分宜し」と書き留めている(「飯田助夫日記」大正14年11月4日飯田助知氏蔵)。

写真3  供進士大綱村の郷社 熊野神社(池谷随員)
写真3