横浜市開港記念館

企画展
「100年前の旅行アルバム−外国人が撮ったニッポン−」
企画展ハイライト
展示余話
最後の橘樹郡長・福本柳一
資料よもやま話
「国内最古のガス管」発掘ルポ
資料館だより

開催概要

「RL & S」を追って

 さて、いよいよイニシャル「RL & S」の正体さがしである。今回の調査で「身元判明」の決め手になったのは、横浜市が所蔵しているガス灯の存在であった。

 現在、市では、戦前のガス事業に関係する出土遺物をいくつか所蔵しているが、そのなかのひとつに、鋳鉄製のガス灯柱がある。ランプ部分はなく、半分に折れてしまってはいるものの、この灯柱の台座には、製造元の手がかりがはっきりと残されていた。陽刻で「R.LAIDLAW & SON GLASGOW」とあり、グラスゴーのメーカーらしいことがわかる。しかも、イニシャルは「RL & S」。今回出土したガス管のものと、ぴったり一致する。

 このガス灯自体、馬車道に設置されていたものだというが、いつ製造されたもので、いつ日本に入ってきたのかなど、詳しいことはわかっていなかった。瓦斯局跡地から発見されたガス管に同じイニシャルがあるとなると、両者の製造元が同一である可能性はきわめて高いといえる。双方の関係を、当時の文献からもう少し詰めてみよう。ひもとくのは、戦前に横浜市瓦斯局が刊行した『横浜瓦斯史』である。

 ガス事業開始にあたって、創業者高島嘉右衛門は、上海での事業経験をもつフランス人技師アンリ・プレグラン(Henri
A.Pelegrin)を雇い入れた。明治4年3月、プレグランは施設の建設資材購入のためイギリスへと渡り、現地で資材購入および運搬の契約を結んで、八月に帰国した。大半の資材はグラスゴーで購入している(一部パリで購入)が、そのときの見積書2通および注文書1通が同書に掲載されている。

 この「レートロ及ソン」社の見積りに対して、プレグランは「横浜瓦斯事業ニ要用ナル製造装置ノ全分並ニ市中導管ヲ御製造御仕送被下候」として、さっそく翌日に発注している。同年11月にグラスゴーを出発した資材は、輸送に遅れが出たものの、翌明治五年四月には横浜港に到着し、工場の建設工事が急ピッチで進められることになるのである。

 以上が、「身元調査」の概要である。横浜瓦斯会社の施設建設にあたって「RL & S」社から提出された見積書のなかに、8インチの鋳鉄管が含まれていること、そして今回発見された場所が、創業時のガス製造所とホルダーとをつなぐ部分に相当することを考えあわせると、今回発見されたガス管は、瓦斯会社の創業時にグラスゴーから購入された製品と結論づけてよいだろう。そして、明治5年9月29日、日本最初のガス灯が横浜に灯って以来、今日までおよそ130年間、ガス供給の役目を果たし終えたあとも、地面の下で眠りつづけていたのである。今回の出土は、横浜のガス事業の貴重な生き証人との対面であった。