横浜市開港記念館

企画展
開港150プレリュード
ハリスと横浜
企画展
「開港150プレリュード
ハリスと横浜」
遣米使節をめぐる英・米・仏の思惑
展示余話
中華街斜め考
資料よもやま話1
震災復興期の保土ヶ谷町
資料よもやま話2
堤石鹸製造所とその資料
―日本最初の石鹸製造をめぐって―
新収資料コーナー
グランド・ホテルの封筒
資料館だより

開催概要

企画展
「開港150プレリュード(6)ハリスと横浜」
遣米使節をめぐる英・米・仏の思惑

図版3 オールコック(“The Englishman in China”2巻1900年) 当館蔵
図版3 オールコック

オールコックの本省宛て報告

  オールコックは1859年11月12日付で、遣米使節派遣をつぎのように短く本省に伝えていた(General Correspondence, Japan (F.O.46)/4, No.42)。

  「閣下はおそらく、この使節が何らかの考慮に値するとお考えであろう。しかしアメリカに使節が派遣されるという状況下にあって、同様にイギリスに対してもその光栄が払われるべきだという考えは、またイギリスの予算と財産を多額に使って、この知識階級の日本人らに同様の機会を与えることを是が非でも実施すべきだとする考えは望ましくない。」

  1862年1月、今度は遣欧使節が派遣されることになった際、イギリス軍艦が用いられ、その準備にあたったオールコックはこの遣米使節を思い出して、つぎのように記した(オールコック著・山口光朔訳『大君の都』下、岩波文庫)。

  「第一の困難は、随員の数をほどほどに減らすことであった。前年[1860年]にアメリカ合衆国に使節が派遣されたときには、好きなだけの人数をつれてゆくことができた。…しかしながら、そんなに多人数では…各国政府にとって余計な出費が大変かさむし、かれらが派遣される各宮廷にとってはかぎりのないほどの手間と迷惑をかけることになるだろう。…最後には全部で35名にした。」

  通商関係を第一と考えるイギリス外交代表らしい対応であった。

  仏文訳にあたっては高島務氏のご協力をえた。記して感謝いたします。
  なお当館は、開館当初から横浜の歴史に関する海外史料(複製)の収集につとめてき、現在、アメリカ・イギリス・フランス・中国の外交文書を中心とする多数の史料を収蔵し、当館閲覧室で閲覧公開している(コピーも可)。本展示でも、ニューヨーク・シティ・カレッジが所蔵する「ハリス文書」の他、上記のような各国外交文書や、当時の外国新聞などを紹介している。
  海外史料の利用の詳細は、当館編『横浜開港資料館 資料総覧』平成18年刊、あるいは当館ホームページをご覧いただきたい。

(中武香奈美)