横浜市開港記念館

よくある質問を掲載します。
さらに詳しく知りたい方は、当館刊行の『横浜の歴史あれこれQ&A‐近代編‐』をご覧ください。

Q.1 横浜市神奈川区のお寺に外国領事館跡が多いのはなぜでしょうか?

1858(安政5)年、幕府とアメリカをはじめとする各国との間に通商条約が結ばれ、開港場として「神奈川」が指定されました。各国は神奈川宿(現神奈川区)を主張し、お寺に領事館を置きましたが、幕府は横浜村も神奈川の一部だと主張しました。やがて横浜村の整備が進むと、領事館も移転してくるようになりました。各国領事館跡には、本覚寺(ほんがくじ、アメリカ)・浄滝寺(じょうりゅうじ、イギリス)・慶運寺(けいうんじ、フランス)などがあります。

Q.2 JR関内駅の「関内」とは、どういう意味でしょうか?

横浜に開港場をつくるにあたって、幕府はその周囲を川と堀割りで区切りました。出入りする橋のたもとに関門を設け、内側は「関内」、外側は「関外」と呼ぶようになりました。

Q.3 「フランス山」が横浜にあるのはなぜでしょうか?

幕末期、外国人が日本に住むことを快く思わない武士らが外国人殺傷事件を相次いでおこしたため、イギリスとフランスは居留民保護のため自国軍隊を横浜に呼び寄せました。フランス軍が駐屯したのが現在のフランス山公園一帯で、フランス軍がいたから名付けられたと考えられています。イギリス軍がいた一帯は「トワンテ山」(港の見える丘公園周辺)と呼ばれました。最初に駐屯した第20(トウエンティー)連隊の英語音から名付けられました。12年間の駐屯の後、1875(明治8)年に両軍は撤退しました。

Q.4 外国から入ったものが横浜から全国に広まりました。それは何でしょうか?
牛乳、パン、西洋野菜、肉食、アイスクリームなどです。詳しくは当館発行の『横浜もののはじめ考 改訂版』をご覧下さい。
Q.5 横浜市が誕生したのは、いつですか?

1889(明治22)年4月1日です。前年に公布された市制町村制が実施され、東京、大阪、京都など全国で31の市が誕生しました。横浜は開港後に急速な成長をとげ、全国第6位の人口をかかえる大都市に膨張していましたが、市域は現在の中区と、西区と南区の一部のわずか5.4平方キロメートルでした。初代市長は元横浜区長の増田知(ますだ・さとし)が選ばれました。

Q.6 日本有数のグルメのまち中華街。その始まりの頃は?
横浜に開港場をつくるにあたって、幕府はその周囲を川と堀割りで区切りました。出入りする橋のたもとに関門を設け、内側は「関内」、外側は「関外」と呼ぶようになりました。
Q.7 横浜には外国人墓地がいくつあるのでしょう?

山手の横浜外国人墓地、根岸外国人墓地、「中華義荘」と呼ばれる中国人専用墓地(以上中区)、英連邦戦没者墓地(保土ヶ谷区)の4つの外国人墓地があります。山手の横浜外国人墓地が最も古く、1854(安政元)年、日米和親条約締結のため再来航したペリー艦隊「ミシシッピ」の水兵が死亡し、その埋葬地となったのが始まりです。

Q.8 横浜市の市章や市歌は、どのようにしてできたのでしょうか?

1909(明治42)年、横浜開港50周年の記念として作られました。作詞は当時すでに文豪として有名だった森鴎外(もり・おうがい)、作曲はドイツ帰りの新進作曲家の南能衛(みなみ・よしえ)でした。南は文部省唱歌の「村祭」や「村の鍛冶屋」の作曲もおこなっています。

Q.9 キング、クィーン、ジャックと呼ばれている建物の塔を知っていますか?

キングは神奈川県庁本館、クィーンは横浜税関、ジャックは開港記念横浜会館の塔の愛称です。愛称のいわれは、塔の形をトランプの絵やチェスの駒に結びつけたとも、塔の雰囲気を表わしたとも言われています。かつて横浜港に入ってきた船から真っ先に見えたのは、この特徴ある3つの塔だったそうです。建てられた年はジャックが1917(大正6)年、キングが1928(昭和3)年、クィーンが1934(昭和9)年です。

Q.10 新橋・横浜間に鉄道が走ったのはいつのことでしょうか?

1872年10月14日(明治5年9月12日)、新橋・横浜(現在のJR桜木町駅)間の鉄道が正式に開業しました。当時、新橋・横浜間を53分で走りました。運賃は最も安いランクのものでも、今日の貨幣価値に換算すると4千円以上となり、庶民にはたいへん高い乗り物でした。建設に貢献したイギリス人鉄道技師モレルは、工事半ばで病死し、山手の横浜外国人墓地に葬られました。「鉄道建設の父」と称えられています。